ダライ・ラマ基金は、個人や機関によるチベット人のための福祉活動、チベット固有の文化・遺産の保護ならびに振興支援を目的とし、2009年、ダライ・ラマ法王によって設立されました。 ダライ・ラマ基金では様々な慈善活動の中で、教育の機会の普及や教育システムを通じて若者の普遍的責任感を育成する方針を展開しています。また、科学と宗教間の有意義な対話を促進し、環境保護の...
本日は、1959年にチベット民族がチベットの首都ラサにおいて中国共産党の抑圧に対する平和蜂起を行なってから52周年を記す日であり、同時に、2008年にチベット全土において非暴力デモが行なわれてから3周年を記す日です。この場をお借りして、チベットのために命を犠牲にした勇敢な男性たち、女性たちに、敬意を込めて祈りを捧げます。また私は、今なお抑圧に苦しみ続けている...
2011年3月14日 第14期チベット亡命政権議会議員 各位 ご存知の通り、チベット語で「チョルカ・スム」と呼ぶチベットの三つの地域は、初代王ニャティ・ツェンポの時代(紀元前127年)から支配者ティ・レルパチェンの時代(838年)まで、およそ千年間、チベットの王が42代にわたって統治してきました。その千年間、チベットは中央アジアの大国として、軍事的にも政...
亡命生活が始まって以来、私は30年以上にわたり民主的な統治制度の確立に真摯に取り組んできました。「我々の民主主義はダライ・ラマ法王の贈り物だ」と亡命チベット人は言います。10年前、カロン・ティパをダライ・ラマによる候補者指名ではなく民主的に選出する制度が導入されました。ダライ・ラマによる候補者指名は正しいものではなかったからです。カロン・ティパの直接選挙以来...
私はすべての有情のために如意宝珠にもまさる最高の目的を達成しようという決意によって常に有情を慈しむことができますように この四行詩は、他のすべての有情たちを心から愛しいと感じる心を育むための教えです。この偈では、他の有情たちを如意宝珠のように貴重な宝とみなす態度を築くことがいかに大切であるかが強調されています。そこで、「何故私たちは、他の有情たちを貴重で価...
誰と一緒にいる時でも自分を誰よりも劣った者とみなし他者を最もすぐれた者として心の底から大切に慈しむことができますように 第一偈には、すべての有情を宝のように貴重な存在とみなす心を育む必要性が説かれていましたが、第二偈では、すべての有情を宝のように貴重な存在と認識した上で、彼らを劣った者と考えて憐れむのではなく、貴重な宝とみなす心を土台として大切に慈しむべき...
いかなる行ないをする時も、自分の心をよく調べ自分と他者を害するだけの煩悩が生じるやいなや真っ向から立ち向かいすぐさま力ずくで対治することができますように この偈は本当に、仏法の修行のエッセンスとも呼べる核心に触れています。仏陀の教えという脈絡の中でダルマ(法)について語る時、私たちは涅槃、つまり苦しみが止滅した境地のことを話しているのです。苦しみからの解放...
悪い性質を持った有情たちが悪行や辛苦に苛まれているのを見た時貴重な宝を見つけたかのように得がたいものとして大切に慈しむことができますように この偈は、おそらくその人のふるまいや外見、貧困や病気などのために社会的に重要視されていない人々とどのように関わるべきかという特別な状況について述べられています。菩提心を育む実践をしている人ならば、そういう人たちに出会っ...
誰かが私に嫉妬して罵倒し、侮辱するなどひどい目にあわせても負けは自分が引き受けて勝利を他者に譲ることができますように ここで述べられているのは、他の人たちが特に何の理由もなく、不当にもあなたを挑発してくる時、それに対して否定的な反応をするのではなく、本物の利他行の修行者としてその人に寛容さを示し、忍耐強く対処するべきだということです。そのような扱いを受けた...
第七偈には、今まで私たちが議論してきたすべての修行の要約が述べられています。 要約すると、直接的にも間接的にも母なるすべて〔の有情たち〕に利益と幸せを捧げ母〔なるすべての有情たち〕の被害と苦しみをみなひそかに私が引き受けられますように この偈では、「トンレン」と呼ばれる仏教の特別な修行が提示されています。この修行は、「自分の幸せを他者に与え(トン)、他者...
最後の第八偈には、このように述べられています。 これらのすべて〔の修行〕が世俗の八つの思惑に汚されることなくすべての現象は幻のごときものと知って執着を離れ、束縛から解放されますように この偈の最初の二行は、本物の修行者にとって大変重要な点です。「世俗の八つの思惑」とは、一般的に見て私たちの人生を支配する傾向のある態度のことです。それらの態度とは、誰かに称...
『心を訓練する八つの教え』に述べられている精神修行の理想を称讃する気持ちを持っているならば、菩提心を生起するために次の偈を唱えるとよいでしょう。仏教の修行を実践する人たちは、利他心と慈悲の心を高めようとする時、この偈を唱えてその意味を思い起こすことが大切です。仏教以外の他の宗教を信仰している人たちは、その宗教の教えに従って、利他の目的を達成するために利他心を...
ダライ・ラマ1世(ゲンドゥン・トゥプ) ダライ・ラマ1世であるゲンドゥン・トゥプは、1391年、中央チベットのツァン地方、サキャ近くで、遊牧民であるゴンポ・ドルジェとジョモ・ナムカ・キの子ペマ・ドルジェとして生まれた。ギャトン・ツェンダ・パラからチベット語の読み書きの基礎教育を受けた後、14歳のときに、ナルタン僧院の僧院長だったケンチェン・トゥプ・シェ...
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2025年9月10日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ / ツクラカン ダライ・ラマ法王が、ロカ文化福祉協会(Lhokha Cultural & Welfare Association)、ナムギャル仏教学研究所・イサカ(Namgyal Institute Ithaca)および各国に暮らすチベット人青年たちが捧げる長寿祈願法要に出席される。 ...
2011年11月30日 インド、ニューデリー [全アジア仏教国僧院のシニアメンバーをはじめとする聴衆に向けた演説]文字起こし:ダイアナ・イレス、編集:ルーク・ロバーツ、アレクサンダー・ベルゼン 敬愛なる仏教徒の兄弟姉妹の皆様、そしてここにお集まりのすべての皆様ひとりの僧侶として、これは実に感動的な非常に嬉しい瞬間です。いつものことですが、最後に話...
ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャツォ 人生の目的とは?私たちが意識的、無意識的に考えていようといまいと、ひとつの大きな疑問が毎日の生活の中に潜んでいます。それは、人生の目的とは何か、ということです。私はこの疑問について、いろいろと考えてきました。そこで、私の考えに触れた人々が、そこに何か直接的、実際的に有益なものを引き出して下さればという願いから...
私たちが承知しているように、平和が、そして地球上の生命の存続が、人道的価値への取り組みに欠けた人間の活動によって脅かされています。環境破壊や自然資源の破壊の原因は、無知や欲望、地球上の生きとし生けるものたちへの敬意が欠けていることにあります。 このような敬意の欠如は、地球に暮らす人類の子孫にまで影響を及ぼします。平和が現実とならず、さらには環境破壊が現在の...
1993年4月 ワシントンD.C. 人々は数千年にわたり、厳格な規律手法を用いた権威主義的組織だけが人間社会を統治できると信じ込まされて来ました。しかし、人間には生まれつき自由を願う性質があります。ですから自由を求める勢力と抑圧する勢力は、歴史上ずっと戦いを続けてきました。今日どちらが勝利を収めつつあるかは明らかです。左右の独裁体制を打倒して人民が権力を奪...
ダライ・ラマ14世 テンジン・ギャツォ 以下は、2005年11月12日にワシントンDCで開催された神経科学学会の年次総会でダライ・ラマ法王が行なわれた講演に基づいてまとめられた。 この数十年の飛躍的な進歩は、人間の脳と人間のからだをひとつの全体として科学的に理解するようになったことです。さらには新たな遺伝学の出現にともない、神経科学者たちの知...
2006年3月27日、ダラムサラで行われた大祈願祭(モンラム)の法話が終わった後、チベット本土から来訪した多数のチベット人たちにダライ・ラマ法王はいくつかの論点を熱心に語られた。その一つは、チベット人、そして仏教徒は仏教の教育、普及、実践において質を最重要視するべきであるという内容であった。以下はその概要を編集者が英訳したものである。 知識という基準で私た...
もし教育と報道に特別な責任がある分野があるなら、それは我々の自然環境だと私は信じています。この責任とは、正しいか間違っているかという問題ではなく、生き残れるかどうかということに関係しています。自然界は我々の家です。かならずしも畏怖すべきものや神聖なものではありません。単に我々が住む場所です。 そのため、私たちは自然を大切にしなければなりません。これは常...
今宵は、仏教では自然がどう捉えられているかお話しましょう。 ナーガールジュナ(龍樹)は、実体の無い空(くう)が可能な体系においては、あらゆる働きもまた可能であり、働きが可能であるがゆえに、空もまた可能である、と説いています。ですから、自然とは何かといえば、自然は究極、空です。では、空とは、サンスクリット語で言うシュニヤーターとは、何のことでしょう。...
よくチベットでは、山には神々が住んでいると思われています。例えば、アムニェ・マチェンというチベット北東部にある山には、私の故郷アムド地方で最も大切な神様の一人マチェン・ポムラが住んでいると信じられています。アムド地方の人は皆マチェン・ポムラを自分達の特別な友人のように思っていて、多くの人がその山の麓を巡る巡礼に行きます。 一般にチベット人は、まわりにある高...
20世紀の幕切れが近づくにつれ、世界はいよいよ小さくなってきました。今や世界中の人々は、ほとんど単一のコミュニティーに属しているようなものです。政治的、軍事的な同盟関係が、大規模な多国間の集団を形成し、産業と国際貿易が、全世界規模の経済を育ててきました。距離的な隔たり、言語や民族の壁といった昔ながらの障害は、世界的なコミュニケーションの発達につれて、影が薄く...