インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
今朝、ダライ・ラマ法王はビデオカメラの前に立たれると、前方のモニターから古い友人たちが手を振って挨拶しているのをご覧になって微笑まれた。テロ・リンポチェは、法王が再び説法をしてくださることに感謝し、今日の『般若心経』は中央仏教僧院 “釈迦牟尼仏の黄金の住居” からカルムイク語で唱えられ、この僧院はカルムイク共和国の元大統領キルサン・イリュムジノフ氏の主導によって建立されたことを説明した。さらに、この僧院が仏法、文化、言語を支える上で重要な役割を果たしており、貧しく困窮している人々を援助し、健康と教育に関連する社会プログラムも提供していると付け加えた。
法王は、カルムイク語の『般若心経』が終わると、満足気に次のように話を始められた。
「今日は仏教徒にとって特別な日です。釈尊の母マーヤ夫人は、釈尊の誕生後に亡くなって天界に転生されました。釈尊は母の生まれ変わりを訪ねてそこでしばらく過ごされましたが、今日は、釈尊が六欲天のひとつである三十三天から人間界に降臨された記念日です。昨日提案したように、空性と菩提心について瞑想し、それを釈尊に捧げましょう」
「釈尊が教えを説かれた主な目的は、弟子たちの心に良き変容をもたらすためでした。先ほど唱えていただいた『般若心経』は、主に空性について説いています。その冒頭の部分には、『その時世尊は、深遠なる現れ(甚深顕現)という多くの現象についての三昧にお入りになったのである』とありますが、これは空性と菩提心についての言及です。そして、ここからシャーリプトラと観自在菩薩の会話が始まります」
「シャーリプトラと観自在菩薩の会話は釈尊のインスピレーションによって生じたものであり、二人の会話が終わると釈尊は瞑想から立ち上がり、観自在菩薩が述べたことを承認されました。それは、三阿僧祇劫にわたる釈尊の実践と一致していたからです」
「般若波羅蜜(完成された智慧)の教えには、空性を理解する深遠なる修行道と、方便の道である広大なる修行道が含まれています。ただ “仏陀に帰依します” と唱えるだけではあまり意味がありません。仏陀の教えに従い、それを適用する必要があるのであり、そうすることで自分自身によき変容がもたらされ、仏陀のようになれるのです」
「ナーガールジュナ(龍樹)がそのことを『根本中論頌』(以下、『中論』と表記)の中で次のように明確にされています」
「あらゆる破壊的な感情(煩悩)は、無明を克服することによって取り除くことができます。無明とは現実のありようを誤解した心であり、現実のありようを明確に理解すれば、無明を滅することができるのです」
「事物が自性を欠いているということは、それらが全く存在しないという意味ではありません。すべての事物は他に依存することによって存在しているのであり、それ自体の側から客観的に存在しているのではありません」
「ナーガールジュナは『中論』の中で次のように書いておられます」
「ナーガールジュナは、誤った行為と煩悩のために私たちは輪廻をさまよっているのであり、誤った行為と煩悩を克服することによってのみ解脱に至る、ということを明確にされました」
「ジェ・ツォンカパは、『縁起讃』において次のように述べておられます」
法王は、説一切有部(ヴァイバーシカ学派)と経量部が、事物はある程度独立して客観的に存在すると主張していることを認められた。さらに唯識派は、人には阿頼耶識(アーラヤ識)と呼ばれる習気の貯蔵場所として、第8の意識の存在を主張している。これに関連して、チャンドラキールティ(月称)の『入中論』からの偈を、法王ご自身が定期的に繰り返し熟考していることを明かされた。
事物は自性を欠いているが、その日常的な存在は認めることができる。
法王は聴衆に向かって、今、空性についてともに瞑想しようと促され、ナーガールジュナの『中論』から、「如来」についての偈頌を「自分」に入れ替えて唱えるように提案された。
法王は、発菩提心に注意を向けると、シャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』から次の偈を引用された。
私たちは頑なに利己主義に固執しているため、輪廻を巡っている。しかし、チャンドラキールティは『入中論』の冒頭で、慈悲の心が完全なる仏陀の境地に至る因であると述べている。空性を理解することにより、生きとし生けるものすべての解脱が可能であるとわかる。生きとし生けるものたちのために解脱の境地に至りたいという願いを培うと、菩提心が生じ、他者を救済するために完全なる悟りの境地に至りたいと望むようになるのである。ここで法王は、ともに1分ほど菩提心に瞑想しようと参加者たちに促された。
瞑想が終わると、法王はシャーンティデーヴァの『入菩薩行論』とナーガールジュナの『宝行王生論』から、次の偈を引用された。
法王は、空性と菩提心について毎日瞑想することが最も有益であると述べ、その後、参加者からの質問を受けられた。
最初の質問は、原因と結果に照らし合わせ、食肉の生産に関わる仕事について岐路に立たされている男性からであった。しかし、一方では家族を養う必要もある。法王は、多くのモンゴル人とチベット人は、伝統的に野菜の摂取ができない遊牧民であったため、肉を食べる以外に選択肢がほとんどなかったことを認められた。
法王は、釈尊が弟子たちに肉を食べてもよい3つの状況について告げたことを述べられた。それは、1)ある動物が自分に供されるために殺されたことを自分の目で見ていない、2)信頼する人から、ある動物が自分に供するために殺されたことを聞いていない、3)自分に供するために殺したのではないことに対して疑いの余地がない、という3つの場合である。最近は、南インドにあるチベットの僧院の厨房では菜食料理のみが提供されている。
法王は、工業型の農業は自然環境に悪影響を及ぼし、動物に害を与え、苦痛をもたらすと言われていることを述べ、動物の屠殺によって生計を立てることは避けるとよいだろうとアドバイスされた。しかし、遊牧民がそうすることは難しいのと同様に、それは難しいだろうということも認められた。そのような決定に関しては、自分の状況を考慮に入れて考える必要がある。
次に、インターネットや録画などを介して教えを授かることは、直接師から授かるのと同じくらい加持力があるのかという質問が挙げられた。法王は、師から直接口頭伝授を受けられればよいが、学んだことの意味を分析し、熟考することが重要であると答えられた。人ではなく言葉に依るべきである、言葉ではなくその意味に依るべきである、解釈を必要とする未了義の教えではなくお言葉通りに受け入れることのできる了義の教えに依るべきである、知識ではなく智慧に依るべきである、という4つの頼るべきもの(四依)に言及されて、教えを読んだり聞いたりして理解し、自分の心にそれを培うようにと勧められた。
法王は、亡くなられたナムカイ・ノルブ・リンポチェを師とするグループに、たとえリンポチェがいなくても教えられたことを実践することが実際に役立つはずだと話された。私たちは誰もナーガールジュナにお会いしたことはないが、その著作を手に取って読むことができるのであり、その教えに対する信頼を保つべきであると指摘された。
法王は、何世紀にもわたって仏教徒がいたロシアでは、仏教は新しいものではないと話された。最近では、教えに対する論理的なアプローチをとることにより、心と感情の働きについての理解と現代科学の発見を組み合わせることが可能である。ロシアは一部がアジアに、一部がヨーロッパにあることから、東西の架け橋としての役割を果たすことができる。法王は、今日の仏教徒が信仰だけでなく、論理と理解に基づいて修行する21世紀の仏教徒であるよう励まされた。
カルムイク共和国にある “釈迦牟尼仏の黄金の住居” からの質問は、なぜナーガールジュナが最初に究極の菩提心を起こし、次に世俗の菩提心を起こすように説かれたのか、というものであった。法王は、ナーガールジュナが生きておられたのはほぼ二千年も前のことだが、その著作を読んでいると、すぐそばにナーガールジュナが立っておられるように感じると話された。論理的なアプローチをとるなら、煩悩という心の汚れを取り除くことは実際に可能かどうか、そして悟りに至ることはできるのかどうかを問う必要があると説明された。
菩薩は、智慧によって悟りを目指し、慈悲の心によって有情をご覧になっている。それ故、空性を理解する智慧を育むことが重要である。鋭い能力を持つ人は、悟りを得ることが可能であること、そして一切智の境地が実現可能であることを認めて初めて、他者をその境地に導こうと考えるのである。
次に、参加者の一人はどうすれば法王をロシアにお招きできるかと尋ね、もう一人は来世で法王の弟子になるには何をする必要があるかと尋ねた。法王は、最初の質問に対してご招待を感謝すると答え、年をとってきたし、現在はパンデミックにより活動が制限されていると述べられた。しかし、インドからカルムイクまでは飛行機で約4時間、そこからモスクワまでは約3時間しか離れていないことを考えると、訪問は不可能ではないかもしれない、と話された。
そして法王は、2番目の質問に答えて、「あなたの未来は現在のあなた次第です。菩提心と空を理解する智慧を育むことは、私の最も重要な実践でもあります。死に際しては、菩提心と空を理解する智慧の実践を思い出してください。ジェ・ツォンカパが記された『功徳の基盤』の最後にある祈願が成就できるかもしれません」と述べられて、その祈願文を唱えられた。
「私は多くの密教の灌頂を授かってきましたが、菩提心を育み、空性を理解することが私の主な実践です。再び私たちが出会うためには、このような実践をあなたもしてください」
最後に、家族の面倒を見ることに手一杯で、1つの修行しかできないとしたら、どんな修行をするべきかとの質問があった。法王は、菩提心を育み、空性を理解するためには、必ずしも出家する必要はないと答えられた。そして教育や社会活動に携わっているならば、静謐の地で隠遁修行をする僧侶より、社会にもっと貢献できるかもしれないと付け加えて、チャンドラキールティの『入中論』第6章の終わりから次の偈を引用された。
テロ・リンポチェは、このオンライン法話会をともに主催したロシアの仏教徒たち全員を代表して、法王が長年にわたり配慮してくださったことに感謝を捧げ、この法話会を締めくくった。法王が将来も私たちと共におられ、また教えを説いて下さるようにと請願し、最後に法王のご健康とご長寿を祈願した。