インド、ビハール州ブッダガヤ
マハーボーディ寺院の方に日が昇り始めた早朝から、ダライ・ラマ法王は法話会場のカーラチャクラ・グラウンドに歩いて向かわれ、路上や会場で法王を待つ人々に微笑まれながら手を振って進まれた。壇上では、ヤマーンタカのタンカ(仏画)が背面に掛けられたマンダラの厨子に向かって着座され、ヤマーンタカ独尊の灌頂を授与するための準備の儀式に入られた。儀式が進むにつれ、会場の中に人が増えていった。
その後法王が法座に着かれると、上座部仏教の僧侶たちが昨日に引き続き『吉祥経(マンガラスートラ)』をパーリ語で唱えた。続いてブッダガヤで初めて法王の前に座る12人ほどの西洋人たちが、キリスト教の聖歌を思わせる旋律で『般若心経』を英語で唱え、それが終わると会場から拍手が湧いた。そして法王は次のように述べられた。
「本日は、金剛乗、あるいは秘密真言乗とも言いますが、タントラ(密教)の修行となるヤマーンタカ独尊の本灌頂を授与します。タントラの修行では心の深部を修練するために真言を唱え、ツァ・ルン・ティクレ(脈管・風・心滴)を用いる修行を行います。これらの修行は仏教以外の伝統にも見られます。私は身体の外に意識を放出するという修行をしているサドゥ(ヒンドゥー教の修行者)たちに何度か会ったことがあります」
「過去においては、大乗仏教は釈尊が説かれた教えではないと主張する人々がいましたが、ナーランダー大学の導師であるナーガールジュナ、バーヴァヴィヴェーカやシャーンティデーヴァなどの方々は、大乗の教えは釈尊が説かれた教えであることを正しい根拠とともに示されています。また、タントラの教えは釈尊の教えではないという人々もいて、彼らは釈尊が説かれたのは、因と縁により結果が生じるという縁起の教えと、母親の愛情のように一切有情の苦しみを取り除こうと励むことであると主張しました」
「縁起と利他心は仏教の全体的な枠組みの中の一部です。秘密真言乗は一般の人々に公開して説かれることはありませんでしたが、特定の弟子たちに向けて個別に説かれていた特別な教えでした。ナーランダー大学の導師たちが書かれた論書も仏教の全体的な枠組みの一部ですが、タントラの教えは本尊の姿で生起した釈尊が秘密の教えとして説かれたものなので、特別な教えであるタントラは秘密裏に修行するべきものとなっています」
「真言(マントラ)は修行者が通常の顕れに執着し、心がその対象に流されてしまうことを防ぐためのものです。たとえ短い時間であっても、自分自身を本尊として観想することは、自分を世俗の現れに執着することから守り、清浄なものとして生起するために行います。金剛が意味するのは、明らかな本尊の現れと空を理解する心が無別の本質であるということです。修行を効果的に行うには、空性についての瞑想が不可欠です。タントラの儀軌は通常『オーム・スヴァバーヴァ・シュッダ・サルヴァ・ダルマ・スヴァバーヴァ・シュッダ・ハム』の真言から始まり、一切を空に溶け込ませ、その空の中から本尊の清らかなお身体として生起するということを行います」
「対象が不浄に見えるのは、カルマと煩悩の結果ですが、心の空性は清浄そのものです。光明の心と、微細な心と、ルン(風:生命エネルギー)を基盤として、自分自身を本尊とマンダラに変容させることができます。不浄な心と身体のままでは仏陀の境地に至ることはできませんが、すべての顕れを清浄と見ることができれば仏陀の境地に至ることができるのであり、このようにして悟りに導く修行道が、乗(乗り物)と呼ばれます」
「ニンマ派の伝統では九乗を説きます。声聞乗、独覚乗、菩薩乗の三つが外なる顕教です。所作タントラ、行タントラ、ヨーガタントラの三つが外タントラで、マハーヨーガ、アヌヨーガ、アティヨーガの三つが内タントラです。マハーヨーガは生起次第を、アヌヨーガは究竟次第を主に修行し、アティヨーガでは本源的な意識を修行道において用いることで、倶生の光明の心を具現化します。ヤマーンタカでは、八大ヘールカと共に、マハーヨーガとして生起します」
「悟りは他の誰からも授けてもらうことはできないと説かれます。悟りは自分以外の外の世界から得るものではありません。なぜでしょうか?それは法身、報身、応身の三身を生起するための土台となる修行が、私たち自身の心の中においてなされなければならないからです。心の最も奥にある光明の心と、その乗物である微細なルン(風)のエネルギーが仏の三身に変容するのです」
「ゾクチェンでは、経験豊かな師であれば、献身的な弟子に対して粗大な心と本源的な意識から生じる微細な心を紹介することができると説きます。ダライ・ラマ7世は、空性を確信する心が生じたら、一切の顕れが滅して、空性に溶け込むと言われました」
「最も微細なレベルの意識である光明の心は、死の瞬間に立ち現れます。それは生滅する一時的な原因に依存することはありません。倶生の光明の心には始まりも終わりもないからです」
法王は灌頂の儀式を始められると、最初に法王がヤマーンタカ独尊の灌頂を授かったのは、子どもの頃タクダ・リンポチェからであり、それが幼少時に最初に授かった灌頂であったと言われた。その後リン・リンポチェから何度も授かり、最後に授かったのは、ここブッダガヤのマハーボーディ寺院の大塔であったとのことである。またダライ・ラマ13世はヤマーンタカ独尊を主な修行とされていたと述べられた。
明後日、法王は、文殊を巡る一連の法として知られる灌頂を三日間にわたって伝授される予定である。