インド、ジャンムー・カシミール州ザンスカール地方パダム
今朝、空は雲に覆われ、渓谷にそよ風が吹きわたるなか、ダライ・ラマ法王は法王公邸のベランダに出られた。昨日は笛を吹く僧侶と香炉を振る僧侶を伴われていたが、今日はドゥクパ・カギュ派のバルダン僧院の僧侶たちを同伴されていた。
法話会場に到着されると、法王は法座から大勢の聴衆に向かって次のように挨拶をされた。
「今から私は灌頂授与に先立ち、阿闍梨としてなすべき準備の儀式(前行修法)として自生起を行い、マンダラに入って、自ら菩薩戒と三昧耶戒(タントラ戒)の受戒を行わなければなりません。私は今からこの儀式を執り行いますので、その間、みなさんは観音菩薩の六字真言を唱えていてください」
準備の儀式を終えられると、法王は説法を再開された。
「皆さんもご存知のとおり、仏陀釈迦牟尼は約2600年前に生きておられた方です。釈尊は初めから悟っておられたわけではなく、最初は私たちと同じ普通の人間でした。しかし、悟りに必要とされる様々な条件を整えられ、三阿僧祇劫という無限に近い時をかけて功徳と智慧を積まれ、完全なる仏陀(正等覚者)となられました。仏陀が持つ四つのおからだ(四身)については、マイトレーヤ(弥勒)の『究竟一乗宝性論』の中に詳しく説かれており、それは、自性身、智慧法身、報身、化身のことをさしています」
「仏陀が空について瞑想されている三昧の状態が智慧法身であり、仏陀は、空の智慧を体現した真理のおからだからさまざまなお姿を現わすことができます。報身は、菩薩のみがまみえることのできるおからだであり、 化身は、誰もがそのお姿にまみえることができます。仏陀釈迦牟尼は最も優れた化身としてこの世に現れた方でした。慈悲、智慧、善行の顕現である観音菩薩、文殊菩薩、金剛手は、報身としてのおからだを持つ方々です」
「歴代ダライ・ラマの系譜は、観音菩薩との深いご縁があります。ダライ・ラマ2世ゲンドゥン・ギャツォは、初代ダライ・ラマであるゲンドゥン・トゥプの転生者であるという明確な証拠を示されました。このお二人とそれ以降の歴代ダライ・ラマは、チベットの人々との特別な結びつきを持っています」
「私はアムド地方のクンブム僧院近くの寒村で生まれ、摂政のレティン・リンポチェによって見出されました。私を探索する過程で、摂政はダライ・ラマ2世ゲンドゥン・ギャツォによって建立されたチョコル・ギャル僧院に行きました。この僧院は、チベット政府とダライ・ラマの守護尊であるパルデン・ラモゆかりの湖、ラモ・ラツォ湖の湖畔にありました」
「パルデン・ラモは歴代ダライ・ラマと特別な関係があります。初代ダライ・ラマであるゲンドゥン・トゥプがタシルンポ僧院を建立されたとき、パルデン・ラモは僧院の名前の一部として “ルンポ” を与えられました。以前、“歴代のダライ・ラマはタシルンポ僧院に属する” とカーチェン・ゾパ・リンポチェが私に言ったことがありますが、その時、私は笑って、“ダライ・ラマ2世がその僧院に留まることを誰が阻止したのでしょうね” と尋ねたものです。結局のところ、ダライ・ラマ2世は中央チベットに移ることになり、ツァン地方を越えて影響力を拡大されました。そして、デプン僧院とセラ僧院の僧院長となり、歴代ダライ・ラマの覚者の行いがチベット全域に広がったのです」
「ダライ・ラマ3世ソナム・ギャツォはモンゴルへ赴かれ、ダライ・ラマ4世ユンテン・ギャツォはそこで誕生されました。やがて、ダライ・ラマ5世がチベットの政治的および宗教的な指導者を兼ねることとなりましたが、ダライ・ラマ5世から始まり、長きにわたって続いたこのチベットの伝統に、私が自ら喜びと誇りを持って終止符を打ったのです」
「摂政のレティン・リンポチェは、ラモ・ラツォ湖の湖面に『ア(Ah)』、『カ(Ka)』、『マ(Ma)』というチベット文字と、私の出生地についてのその他の兆候が浮かび上がるのを見ました。摂政は、『ア』をアムド、『カ』をクンブム僧院、そして『マ』をカルマパ・ロルぺー・ドルジェによって建立された近隣の僧院か、あるいは探している男の子が女の子の名前を持っていると解釈しました。奇しくも、私は幼少時、ラモ・ドゥンドゥプという女の子のような名前で呼ばれていたのです」
「アメリカやその他の国々を訪れる時、私は冗談めかしてよく言うのですが、先代の13世を含む歴代ダライ・ラマはいずれも修行を通して清らかなヴィジョンを得ておられましたが、私は歴代ダライ・ラマの中で最も世界に広く知られるダライ・ラマとなったにもかかわらず、まだ何もそのようなヴィジョンを得ていないのです。しかし、そこには私たちが “縁起” と呼んでいるものがあります。私たちは自分たちの国を失いましたが、その結果、その他の世界とのつながりができました」
「私にはなんら特別な才能はありませんが、ナーガールジュナ(龍樹)やシャーンティデーヴァ(寂天)の著作を信じて、心を込めて修行しています。私の信心は論拠に基づいています。私は普通の一人の人間として、これまで仏法と有情のために尽くすことができたと思っています。観音菩薩は千の眼と千本の手を持っていますが、今日のような灌頂授与の場合には、私のからだを通して灌頂を授与しなければなりません」
「ヒマラヤ地方に住む人々もまた、観音菩薩との強いご縁があります。私がこの地を再び訪問することができるかどうかわかりませんので、この灌頂を皆さんに授与しようと思いました。そこで、観音菩薩の前で占いをしたところ、吉祥のしるしが出ましたので灌頂を授与することに決めました」
「私がカルマと祈りを通して歴代ダライ・ラマと強くつながっていることは大変明らかなことですが、私はまだ、私の人生を修行に捧げることができていません。しかしながら、智慧と菩提心には多少なりとも親しむことができましたし、この世界に暮らす人々の役に立つことができたと思っています。これは、カルマ的な繋がりがなくては成し得なかったことです」
観音菩薩の灌頂の儀式を終えられると、法王は目の前に座っている学童たちに向かって『文殊菩薩礼讃偈(カンロマ)』を読み上げられてから、観音菩薩の真言を口頭伝授された。そして、「私があなた方と同じくらいの年の頃、これが知性を磨くのに役立ったのですよ」と話されて、すべての受者たちに向かって次のように述べられた。
「私は法話を行い、観音菩薩の灌頂を授与しましたが、皆さんには、友情、調和、善き心を育むことがいかに重要なことかを十分に認識していただきたいと思います。たとえ仲たがいしても、友情は必ず修復されるべきものです」
次に、『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文」の読誦によって法王に捧げるご長寿祈願法要が始まり、地元の人々が次々と法座の前に歩み出て供物を捧げた。儀式が終盤にさしかかると、伝統的なザンスカールの衣装を纏った地元の女性たちがステージの前で歌と踊りを披露した。
「みなさんは、揺るぎない信心を持って私の長寿祈願法要を執り行ってくださいました。このような献身は、必ず実りをもたらすことでしょう。友情と善き志はとても大切です。私たちは人間としてみな同じであることを忘れないでください。“私たち” “彼ら” と区別して考えることは何の役にも立ちません。異なる宗教伝統に従う信徒たちも、真摯な態度で修行を積むならば、調和は自ずと生まれてくるはずです」
「このザンスカールの地では、これまでイスラム教徒と仏教徒の間で多少の不和がありましたが、些細な諍いによって両者の友情を壊すべきではありません。最近、両者の代表が集まって開かれた会議で、互いの違いを克服して和解し、両者ともに宣言文に調印したと聞いて、私はとても嬉しく思いました。みなさんの尽力に心から感謝いたします」
そして法王は、地元の代表者たちとの写真撮影に応じられた。
「レー地方では、過去において、伝統的な太鼓奏者と笛奏者が侮辱を受け見下されていたと聞きました。私はそのような身分差別をすることには反対であり、あえて、その奏者たちの家からパンとお茶を持ってきて欲しいと頼んで、彼らを私の元に招待したのです。仏教では、身分や家系は重要ではありません。釈尊は、重要なのは教えを実践することだと説かれました」
法王は、集まった大勢の人々に向かって時々立ち止まっては手を振られながら、新しい法王公邸に徒歩で戻られた。