インド、ジャンムー・カシミール州ラダック、ヌブラ渓谷スムル
今日午前中、デスキット村からスムル村のサムタンリン僧院に向けて出発されるダライ・ラマ法王をお見送りしようと、ティクセ・リンポチェやケルカン・リンポチェ、さらにデスキット僧院の僧侶たちや地元の人たちが集まっていた。サムタンリン僧院はヌブラ川を上ったところにある丘の中腹に立ち、デスキット村からも眺めることができる。
法王を乗せた車はショク川を渡り、村々を抜けていった。沿道には石垣が連なり、その上には動物から畑を守るために刺のある灌木が積み重ねられていた。家々の戸口には人々が並び、カタ(チベットの伝統的な儀礼用のスカーフ)や花束、線香などを持って微笑みを浮かべていた。そうした人々の多くは仏教徒だったが、中にはイスラム教徒の家族もいて、イスラム教のやり方で法王を歓迎していた。車がスムルの村を抜けてサムタンリン僧院に続く上り坂にさしかかるところでは、制服を着たラムドン学校の生徒たちが沿道に並んで法王を称える歌を歌っていた。
僧院にある法王の居室への入り口で法王を出迎えたのは、サムタンリン僧院の僧院長とガンデン僧院前座主リゾン・リンポチェ、同僧院の創設者で所有者の転生活仏であるツルティム・ニマ師だった。部屋の中に案内された法王は、正等覚者たちの仏画に礼拝され、窓の外に拡がるヌブラ渓谷の景色を眺められた。そして、リゾン・リンポチェやティクセ・リンポチェ、その他の高官の方々と共に腰を下ろされた。
お茶とチベット伝統の甘い米飯がふるまわれる中、法王はガンデン僧院前座主のリゾン・リンポチェに向かって次のように話された。
「最近は年のせいでときどき疲れが出て、公務を減らしたいと思うことが多くなりました。しかし、リゾン・リンポチェや、私に深遠なる教えを伝授してくださった導師の方々のお招きを受けていたので、ここに来る約束は守ろうと心に誓っていました」
法王は、翌日サムタンリン僧院で開催される夏季高等宗教会議2018(夏季大問答会)にちなんだ話をされた。
「チベットで私が成長期にあった頃、チベットの学識は非常に高度なものでした。当時、グドゥップ・ツォクニ師というモンゴル人がいたのですが、この方は私が中観派の仏教哲学に興味を持つきっかけになった方です。私がゲシェ(仏教哲学博士)の試験を受けたとき、午前中に鋭い仏教学者として有名なモンゴル人のチューダク師と『量評釈註』についての問答をしたのですが、途中で言葉に詰まってしまいました。しかし、午後になって中観哲学に関する問答が始まると私は自信を取り戻し、最終的には仏教哲学博士号の中で最高学位であるゲシェ・ラランパとして卒業することができました」
さらに法王は次のように続けられた。
「東チベットのカム地方やアムド地方には優秀な学者たちがいると聞いたことがあります。一方で、中央チベットでは全体的に弾圧が収まりつつあります。また、亡命先の僧院や尼僧院では本格的な学習プログラムを立ち上げており、こうしたことが実現したのは喜ばしいことです。いつの日かチベット人はまたひとつになり、かつての学識を取り戻し、さらにはその学識を超えることができると私は確信しています」
法王はこの会見を楽しまれたご様子で、ご機嫌よく居室に戻っていかれた。