インド、ビハール州ブッダガヤ
ナーランダー・シクシャ主催による法話会の終了後、ビハール州知事ニティーシュ・クマール氏の到着を待って30分の休憩がとられた。知事が急ぎ足で会場に入り、ダライ・ラマ法王がおられるステージに登壇すると、法王庁のテンジン・タクラ氏がクマール氏を迎えた。そして、すぐに本題に入り、本書全巻の編集長を務めるトゥプテン・ジンパ博士を壇上に招いた。博士は、今日正式に刊行される『インド古典仏教における心の科学と仏教哲学』英語版第1巻「物質的世界」についての紹介を始めた。
ジンパ博士は、法王と州知事の前で『インド古典仏教における心の科学と仏教哲学』出版プロジェクトについて聴衆のみなさんにお話しすることはこの上なく名誉なことだと述べ、次のように続けた。
「この4巻本シリーズはダライ・ラマ法王ご自身が考案され、法王の細心の指揮のもとで長い年月をかけて仏教学者たちのチームによって編纂されたものです。ものごとの真の本質を、古典的仏教の科学的側面と哲学的側面の両面から探求して、現代の読者にも理解しやすい枠組みの中にまとめました。4巻本シリーズの第1巻は物質的世界に焦点を当てたものであり、本日、正式に刊行となります」
「本シリーズの刊行は、真に歴史的な功績です。第一に、インドの偉大なる仏教思想家の見識を慎重に抜粋し、科学的論拠に基づく検証を行ったうえで体系化することは、それ自体、仏教思想の歴史の中でも画期的な功績です。法王の大局的ビジョンのおかげで、現代の読者はインドの仏教思想家の思想と洞察に初めて科学的観点から取り組む機会が得られるのです」
「第三に、本書全4巻に集められたインドの古典的文献の源がカンギュル(経典)とテンギュル(論書)というチベット大蔵経からの抜粋であることを鑑みるならば、今回特別に編纂されたこの本の刊行は、チベット人が維持継承してきた古代インドの伝統であり、チベット人からインドの人々および世界の人々への貴重な贈り物だということができるでしょう」
「かつて仏教繁栄の中心となったナーランダー、ヴィクラマシーラ、オーダンタプリの三大僧院大学が存在したのはこのビハール州であり、聖地ブッダガヤは、この歴史的な4巻本シリーズの第1巻が刊行されるのに最もふさわしい場所です」
ジンパ博士は、ダライ・ラマ法王と共に、本書の第1巻刊行記念式典にビハール州知事が参加したことには象徴的な意味があると述べ、インドとチベットの間には古来からの師弟関係が存在し、インドの崇高な智慧を両者が共に受け継いできたことを語った。また、法王が近年、古代インドの智慧という伝統 に新たに光を当てることに固い決意を示され、機会あるごとにインドの若者たちにそれを語られてきたと述べた。最後に、英語への翻訳を担当したイアン・コグラン博士と、本書の出版社である米国のウィズダム・パブリケイション社(Wisdom Publications)およびインドのサイモン&シュスター社(Simon & Schuster)を紹介して話を締め括った。
法王庁のテンジン・タクラ氏の要請を受けて、法王は州知事と共に本書の正式な刊行発表を行われた。そして、法王はこのプロジェクトの成功に貢献したすべての人々に感謝の意を表明され、リサーチ・チームを率いたナムギャル僧院長のタムトゥク・リンポチェ、アドバイザー兼編集を務めたセラ僧院メイ学堂のゲシェ・ヤンテン・リンポチェ、ガンデン僧院シャルツェ学堂僧院長のゲシェ・ジャンチュプ・サンゲ師、ガンデン僧院ジャンツェ学堂のゲシェ・チサ・ドゥンチェン・リンポチェ、デプン僧院ゴマン学堂のゲシェ・ロブサン・ケチョク師、そして、本日の記念式典に参加が叶わなかったデプン僧院ロセリン学堂のゲシェ・ガワン・サンゲ師に対して謝辞を述べられた。
州知事のニティーシュ・クマール氏は聴衆に向けて、ダライ・ラマ法王のご臨席のもと、この刊行記念式典に参加できたことはこの上ない幸せであると挨拶した。そして昨年のカーラチャクラ灌頂の折にもブッダガヤを訪れたことに思いを馳せ、本書の第1巻刊行によって、ナーランダー僧院の伝統にある見識が、世界中の読者にそれぞれの言語で届けられることの喜びを表明した。また、釈尊が悟りを開かれた場所と、ナーランダー僧院、ヴィクラマシーラ僧院、そして最近発見されたテララ僧院が存在したこの地は、英語版第1巻の刊行記念式典の場にとても相応しい場所だと感じていると述べた。
次に法王は、「私の友人である州知事のクマール氏はとても誠実な方です。この地で本書の第1巻を刊行できるということは、ここにいる私たち皆にとって特別な出来事です」と述べられ、次のように続けられた。
「知事が州都パトナにブッダ・メモリアル・パークを創設したことからも、クマール氏の宗教に寄せる関心の高さがわかります。おそらく、釈尊の時代に遡れば、クマール氏と私の間には何かカルマ的なご縁があるのでしょう」
「私たちが亡命してインドに辿り着いたとき、私たちは取り組むべき山積みの問題を抱えていました。しかし、私たちが子供の頃からチベットで学んできた仏教哲学、心理学、論理学が今日の世界においても広範な関わりがあることが次第に明らかになってきました。私には、チベット仏教の文献にみられる心の科学と哲学、論理学は宗教の文脈を越えて学問的なアプローチで学ぶことができるように思えたのです。心の働きをより深く理解できるようになれば、私たちの心をかき乱す煩悩や苦悩など、武器やお金では解決することのできない問題に取り組むことができるようになるのです」
「心の科学、哲学、宗教の観点からチベット仏教の経典や論書などを考えてみると、宗教的な部分は仏教徒だけに関わることですが、心の科学と哲学は誰にとっても役立つものだと思います。私は、このような文献に記された思想と価値観を現代教育のカリキュラムの中に有益的に取り込むことができると信じています。人々が自分の心を制御できず、心がかき乱された状態にあるこの世界において、私たちが行おうとしていることは仏教の普及ではなく、私たち仏教徒が人類全体の幸せのためにいかに貢献できるかを探求することなのです」
「各国語版の元となるチベット語版の編纂に必要なリサーチに携わった仏教博士(ゲシェ)のみなさんに、感謝の意を表したいと思います。また、英語、中国語、ロシア語、モンゴル語、ヒンディー語、日本語など、各国語版の翻訳に貢献されている多くの翻訳者のみなさんにも感謝いたします。私たちチベット人がナーランダー僧院の生きた伝統を維持継承してきたことは、私たちの誇りです。そして今、この伝統の発祥の地をはじめ、世界各地において、ナーランダー僧院の伝統に再び息吹を与える機会が訪れたのです」
法王は州知事のクマール氏に、「ナーランダー僧院の17人の成就者たち」の額入りの仏画を贈られ、共に壇上を後にされた。