インド、ジャンムー・カシミール州ラダック地方ヌブラ渓谷デスキット
昨晩の雨が上がり、涼しくなった今朝、ダライ・ラマ法王はデスキット僧院内の法王公邸からデスキット村の法王公邸までの短い距離を車で移動された。法王は前日に続き『三十七の菩薩の実践』を解説され、白ターラー菩薩の長寿灌頂を授与すると告げられて、法王が灌頂の準備の儀式を執り行う間、『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』とターラー菩薩の真言を称えることを聴衆に勧められた。
会場に集まった人々にバター茶が配られると、法王は僧侶たちをからかって次のように言われた。「私の先生のおひとりであったキノール出身のゲン・リクジン・テンパ師は、よく顔にバターを塗っておられました。みなさんも塗りたいですか?リクジン・テンパ師は1947年インドに派遣されたチベット代表団のヒンディー語通訳であり、マハトマ・ガンジーにお会いした唯一のチベット人ゲシェ(仏教学博士)でした。ガンジーから仏教について尋ねられて、ツォンカパ大師の『修行道の三要素』に基づいて簡潔に仏教を説明したそうです」
『三十七の菩薩の実践』の前置き
『三十七の菩薩の実践』の解説を始める前に、法王はナーランダー僧院とそこで栄えた高度な学問について次のように話された。「私は40年前、サンスクリット語に精通したヒンドゥー教やジャイナ教の高名なパンディッタ(賢者、学者)やウパディヤヤ(バラモンのカーストやジャイナ教の指導者たちの称号)たちを招いて、ナーガールジュナ(龍樹)の『根本中論偈』やチャンドラキールティ(月称)の『入中論』の冒頭部分を読誦してもらったことがありました。私はサンスクリット語の読誦を聞いて感動し、いにしえの偉大な導師たちの業績を思い起こしたのですが、彼らの業績は今やその発祥の地ではすっかり忘れ去られてしまっています」
続いて法王は、次のように述べられた。
「アティーシャは、西チベットのンガリ地方にあった小王国の王に招聘されてチベットを訪れ、すべてのチベット人に役立つ仏教テキストを著述してほしいと依頼されて、『菩提道灯論』を著されました。その後、ニンマ派の導師ロンチェンパが『安息三論(ゲルソ・コルスム)』を、カギュ派の導師ダクポ・ハジェ(ガンポパ)は『解脱荘厳』を著されました。私たちが今学ぼうとしている『三十七の菩薩の実践』は、中央チベットのグルチュ出身のトクメ・サンポによって、同じ十世紀代に著されました」
テキストの解説
法王は次のように述べられた。「私たちは、今生と来世における繁栄と幸せに執着している自分の心をコントロールしなければなりません。もしあなたが他の人々を大切にしているならば、あなたは心穏やかで、健康で、長生きすることができるでしょう。そして、あなたが “私たち” “彼ら” という敵味方の分別をしてそれにこだわっているならば、あなたは孤独な人間になってしまうことでしょう。しかし、あなたが親切であたたかい心を持っているならば、人々はあなたがいないと寂しく感じることでしょう」
また、法王は、自分の幸せを他者に与え、他者の苦しみを自分が引き受ける、というトンレン(チベット語で「トン」は与える、「レン」は引き受けることを意味する)の実践に関連して、ご自身の体験について次のように述べられた。
「2008年にラサでチベットの自由を求める大規模なデモが行われた際、中国当局は暴力でそれを弾圧しました。その時に私はトンレンの実践を行い、中国当局者たちの怒りや暴力を私が受け取り、彼らに慈愛や愛情を与えていると考える瞑想をしました。この瞑想によって実際に何らかの効果があったかどうかはわかりませんが、少なくとも私の心の不安はなくなりました」
法王は、『三十七の菩薩の実践』の第21偈までは「世俗の菩提心」について、第22偈以降は「究極の菩提心」について説かれていると述べられて、このテキストの末尾はトクメ・サンポの謙虚なおことばで締めくくられていることを伝えられた。
続いて法王は、ミトラジョーキの『三つの心髄の教え』について法話を始められ、ご自身はミトラジョーキの根本偈の口頭伝授を授かっているが、ダライ・ラマ2世ゲンドゥン・ギャツォによる註釈書の口頭伝授は授かっていない、と聴衆に伝えられた。
歴代ダライ・ラマについて
次に法王は、歴代ダライ・ラマの業績について説明された。ダライ・ラマ2世は、自分の僧院はタシルンポ僧院だと考えておられたが、デプン僧院で学び、デプン僧院長となり、さらにセラ僧院長も務められている。また、ラモラツォ湖がパルデン・ラモゆかりの湖であることを発見され、湖の近くにチューコルギャル僧院を開創された。ダライ・ラマ2世は一貫して超宗派(リメー)の立場を取られ、超宗派の黄帽(ゲルク派)ラマとして知られていた。
ダライ・ラマ3世ソナム・ギャツォはモンゴルで活躍されたが、そのおかげでモンゴルに古典テキストを厳密に学ぶ伝統が根付いた。ダライ・ラマ4世はモンゴルで誕生されている。ダライ・ラマ5世の広範囲にわたる偉大な業績は、この先代たちの実績の上に確立された。ダライ・ラマ6世は成就者であったようである。ダライ・ラマ7世はそれほど明らかな超宗派というわけではなかったが、ダライ・ラマ13世は、ニンマ派の埋蔵経発掘者レーラプ・リンパとともにプルパ、すなわちヴァジュラキラヤ(金剛橛)の実践法を著されている。そこでリン・リンポチェは、先代のゴンパサル・リンポチェがヴァジュラバイラヴァ(金剛怖畏)の実践に加えてヴァジュラキラヤの実践もされていたことを法王に伝えられている。
「歴代のダライ・ラマたちが超宗派であったことを知り、私も同じ立場を引き継ごうと考えました。そして、超宗派であるべきだというネチュンの神託が告げられたので、私は占いをすることにしました。ゾンカル・チョーデ僧院の僧侶たちがチベットからインドに運び出したキーロン・ジョヲと呼ばれる観音菩薩の仏像の前で、私のおふたりの家庭教師リン・リンポチェとティジャン・リンポチェに立ち会っていただいて、占いました。その結果、ディンゴ・キェンツェ・リンポチェにヴァジュラキラヤ(プルパ)の実践法を授けていただくことになりました。私はさまざまな宗派の伝統から授かったすべての教えを書き留めています。例えば、サキャ派の支派であるツァルパ派のチョプギェ・ティチェン・リンポチェからも伝授を授かっています。パンチェン・ラマ1世パンチェン・ロサン・チューゲンは、“修行経験を重ねた人には、さまざまな宗派の伝統のすべては究極的には同じであることがわかる” とはっきりと述べておられます」
その後法王は、ミトラジョーキの『三つの心髄の教え』、観音菩薩の実践法に関連するグルヨーガ、そして、ダライ・ラマ2世による註釈の続きを読み上げられた。そして、臨終とその後の期間に思い出せるように、この実践内容に熟達しておく必要性を強調された。法王は聴衆の中に明晰夢の修行ができる人がいるかどうかと尋ねられ、もし夢を見ている状態で菩提心の実践と空性の理解を育む実践に焦点を当てることができれば、それは強力な効果をもたらすと述べられた。
白ターラー菩薩の長寿灌頂
白ターラー菩薩の長寿灌頂に先立って、法王は菩薩戒授与の儀式を行われた。そして、灌頂の儀式の最後に次のように述べられた。「以上でデスキットにおける法話会をすべて終えることができました。みなさんは、長寿と幸せな人生を送ることができるよう加持を授かったのですから、仏教を学ぶためにそれを活かしてください」
タルトゥク地方のイスラム教徒たちとの会見
その後法王は、タルトゥク地方へのご訪問を要請していたイスラム教徒の代表者たちと会見された。
法王は次のように述べられた。「みなさんからのご招待をお受けしたいと思っていましたが、予想外の天候不良のためにヘリコプターが飛行できず、陸路での移動は現実的ではないと判断しました。ご存知のように、かつてラサにはラダック人のイスラム教徒がたくさんいました。彼らは非常に平和的な人たちでした。私たちは、彼らの料理はとても美味しいと思っていましたし、彼らの話すラサ方言は甘く魅惑的に聞こえました」
「9.11の悲劇の後、人々が “イスラム教徒のテロリスト” という言葉を口にするとき、私はイスラム教徒を擁護しました。その1年後、ワシントンDCの国立大聖堂で行われた記念礼拝で、‘イスラム教徒はすべて攻撃的だと考えることは誤りである’ ということを私ははっきりと宣言しました。どの国にも、どの宗教にも、問題を起こす人たちはいます。だからといって、その国やその宗教全体を悪く言うことはできません」
「ここ数年、私は “イスラム教徒のテロリスト” という言い方をするべきではないと非難しています。ミャンマーで仏教の僧侶たちがイスラム系少数民族ロヒンギャの人々を迫害した事件の後、『タイム』誌の表紙には “仏教徒テロリスト” という見出しと写真が掲載されました。それを見て、私は不快に感じました。“イスラム教徒テロリスト” と聞いて、イスラム教徒のみなさんも同じように感じているに違いないと思います。テロに関わる人は、もはや正当なイスラム教徒でも仏教僧でもなく、ただのテロリストに過ぎません」
「前回私がタルトゥク地方を訪れた時、あるムラー(イスラム学者)が次のように話してくれました。“人を傷つけて血を流すことはイスラムの教えに反する。イスラム教徒はアラーが創造されたすべての生きものを愛すべきであり、ジハード(聖戦)とは自分の悪しき感情との内面的な戦いであって、外面的な闘争のことではない” と」
「私はイスラム教徒の兄弟のみなさんとこうしてまたお会いできて、たいへんうれしく感じています。みなさんと一緒に美味しい食事をいただくのを楽しみにしていましたが、今回は実現できませんでした。幸せに過ごしてください」
サムタンリン僧院へご出発
法王はデスキットを車で出発され、シヨック川沿いの広い谷を進み、ヌブラ川との合流点近くの橋をわたって、スムル村のサムタンリン僧院に向かわれた。沿道では盛装した地元の人々が法王をお迎えした。サムタンリン僧院では、元ガンデン座主リゾン・リンポチェとティクセ・リンポチェが法王をお出迎えし、一緒にお茶を楽しまれた後、法王はお部屋に引き取られた。
明日、法王はツォンカパ大師の『縁起讃』についての法話会を行われる予定である。