インド、ジャンムー・カシミール州ラダック地方ヌブラ渓谷デスキット
本日午前、ダライ・ラマ法王はデスキット僧院の法話会場に到着され、ティクセ・リンポチェが法王を出迎えて法座までご案内した。法王は尼僧たちの問答にしばし耳を傾けられたのち、法座に着かれた。法王は、今日は「悪趣から解放すると言われている観音菩薩の許可灌頂」を授与するが、それに先立ってラマがなすべき準備の儀式を行うので、それと並行してヌブラの人々による長寿祈願法要を行うことを伝えられた。
仏陀釈迦牟尼への礼讃偈と『般若心経』、『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』の読経に続き、経頭がタシルンポ僧院の顕教の法脈に連なる儀軌に従って、法王に捧げる長寿祈願法要の儀式を開始した。これは仏陀釈迦牟尼の教えを護持することを約束した十六羅漢への祈願文を下敷きにしたものである。
長寿祈願法要の儀式が終了すると、法王はこれから伝授されるタクプ・ドルジェ・チャンの清らかなヴィジョンに基づく観音菩薩の許可灌頂について説明された。この許可灌頂は、偉大な成就者であったミトラジョーキの『三つの心髄の教え』として広く知られている観自在菩薩の瞑想修行法である。法王は、ミトラジョーキはこれとよく似たカサルパーニ観音に帰依して修行を完成させ、観音菩薩から直接灌頂と加持を授かっていたことを伝えられたうえで、タクプ・ドルジェ・チャンもまた、この偉大な成就者のヴィジョンを多く得ていたことを説明された。
そして、法王は次のように述べられた。「私も若い頃、タクダ・リンポチェからタクプ・ドルジェ・チャンの清らかなヴィジョンに基づく一連の教えを授かり、必須とされる隠遁修行を終えて60万回の六字真言念誦も満了しました。この許可灌頂を一回受けるたびに、悪趣への再生を一回逃れられるといわれています」
「ここで皆さんに、私が見た観音菩薩の夢の話をすることにしましょう。そのころ私はもうダラムサラに住んでいました。文化大革命以前の何十年も前の話です。私は夢の中でラサのジョカン寺にいて、十一面千手観音像の前に立っていました。観音菩薩が目で合図をなさいましたので、私は歩み寄って観音菩薩を抱擁しました。観音菩薩は私に、”気を落としてはいけない、私と同様に努力を続けなさい“ と言われました。ほどなくして文化大革命が勃発し、その観音菩薩像も他の多くの像とともに破壊されてしまいました。しかし、その後、頭部を含む破片がダラムサラの私のもとへ何とか届けられ、現在はツクラカンで安全に保管されています」
「チベットとラダックの人々は観音菩薩との特別なご縁がありますから、明日予定しているミトラジョーキの『三つの心髄の教え』の説法を聞く準備として、この許可灌頂を授けようと思いました。『三つの心髄の教え』とは、今世における修行、死に直面した時の修行、中有における修行のことです。年配の方々の中には私に加持を求める人が多いのですが、私の力の及ぶところは少ないので、もしこの修行をするならば、そういう方々のためになると考えたのです。釈尊が述べられた通り、『自分が自分の師である』 わけですから、精進して目標を達成していただきたいと思います」
許可灌頂の伝授の前に、法王は聴衆の在家信者の中で希望する受者たちには在家信者戒(優婆塞戒と優婆夷戒)を、僧侶と尼僧たちには出家者の戒律を授けて、出家と在家の4種の戒律を円満された。そして法王は、菩提心生起の儀式に入られた。
許可灌頂の授与が終了すると、法王はカマラシーラの『修習次第』中編を読み上げられて、その間に苦しみの本質、「世俗の菩提心」と「究極の菩提心」、「止」(高められた一点集中の力)と「観」(鋭い洞察力)について触れられて、廻向の偈で法話を締めくくられた。
次に法王は、『三十七の菩薩の実践』のテキストを手に取られ、著者である14世紀のチベットの学僧トクメ・サンポは菩薩として広く認識されており、今様のプトゥン・リンチェン・ドゥプと目されていたことを紹介された。トクメ・サンポの菩提心の威力により、野生動物はオオカミも含め、トクメ・サンポが過ごされたグルチューの洞窟のまわりでは静かにおとなしく暮らしていたといわれている。法王は初心者の段階の修行を説いた第1偈を読まれ、残りは明日続けることを約束されて法話会を締めくくられた。
法王が退場されたあと、会場には少量の降雨があった。ティクセ・リンポチェの招待で法王がデスキット近郊にあるチャンパキャンプでの昼食会に向かわれると、チャンパキャンプの人々は家の前で法王のご到着をお迎えし、デスキット僧院の法王公邸に戻られる時も沿道に並んでお見送りした。