インド、カルナータカ州 ベンガルール(バンガロール)
今朝早く、ダライ・ラマ法王はダライ・ラマ高等教育大学(Dalai Lama Institute of Higher Education)に到着された。
法王は、カルナータカ州内務大臣のG. パルメシュワール博士と、マイソール大学副学長のK. S. ランガッパ氏の手を握られ、高等教育大学落成のテープカットを行なわれた。
まず初めに、高等教育大学学長のB. ツェリン博士が、この大学開校の目的のひとつは、能力と資格を備えたリーダーの育成であることを説明した。そして大学の門戸はチベット人のみならず地元のインド人の学生にも開かれていることを明確に伝えた。
ツェリン博士は、この大学の特徴は学生がチベット語で勉強を続けられる点にあると説明した。学生はチベット語とチベット文学、英語と英文学だけではなく、中国語と中国文学の研究もすることが出来る。中国語と中国文学の講義は、台湾からのボランティアの講師によって行なわれている。
また、学問的な研究以外にも、学生たちが普遍的な人間としての価値を高め、共同作業に従事し、他者の福利増進の責を担うことができるように、具体的な方策が取り入れられている。
学長は、申請していた研究所の開設許可が2日前に下りたことを喜びとともに伝えた。これによってチベット研究における博士号と修士号取得過程設立への道が開けたことになる。学長は大学の素晴らしい施設と熱心な教職員への感謝の言葉でスピーチを締め括った。
次にダワ・ガワ氏が、チベット語で校舎建設の進行状況についての報告を行なった。
続いてマイソール大学副学長K. S. ランガッパ教授、中央チベット政権文部大臣グドゥップ・ツェリン氏、カルナータカ州を代表してG. パルメシュワール博士がそれぞれスピーチを行なった。
法王は落成式の参加者に対して祝辞を述べられ、スピーチで伝えられた報告とアドバイスに対する感謝の気持ちを表わされてから、次のように話された。
「私は1956年に初めてカルナータカ州を訪れましたが、その時既にニジャリンガッパ氏は、チベットで起こっていることに対して心から心配してくださいました。そして1959年に私たちがインドに亡命した時には、チベットからの避難民受け入れを求めるネルー首相の呼びかけに対して、全州知事のなかで最も寛大な対応をしてくださいました。それからというもの、ずっと変わらぬ態度でチベット人を支えてくださっているカルナータカ州政府に心から感謝しています」
「インドとチベットは長い間、サンスクリット語でグルとチェィラ、すなわち師と弟子の関係を保ってきたと言えるでしょう。インドからもたらされたものの大きさに思いを馳せる時、私たちはインドという国を非常に身近に感じます。ほとんどのインド人はシヴァ神を崇めていますが、シヴァ神のお住まいであるカイラス山はチベットにあります。一方、仏教の開祖である釈尊と、釈尊に続く導師たちは皆インドの方たちでした。その上、インドで聖なるものと崇められているガンジス河の源流はチベットにあります」
法王は、インドとチベットにおいて、主要5科(五明ともいわれる仏教哲学・サンスクリット語・論理学・医学・文化と芸術)と副次5科(詩・踊りと歌劇・占星術・文法と語句・辞書学)、その中でもとりわけ心と煩悩の働きを理解するための科目を教えることの重要性についてふれられた。心と煩悩の働きを理解するための科学は、チベット語で明瞭かつ正確に伝えられて来たので、これからもチベット語を保全し、継承していくことはとても大切なことである。法王はまた、論理を用いることの重要性についても強調された。
そして法王は、次の言葉でスピーチを締め括られた。「1960年代は、自分たちの伝統を守ることばかりを心にかけていましたが、今、私たちは古代のインドの智慧を分かち合うことによって人類に貢献することが出来るのです。現在勉強に励んでいる若い世代のあなたたちは、自分たちにそのような可能性があることをよく覚えていてください。チベット人だけではなく、人類全体の利益について考えてください。私たちはいつもすべての有情の幸福を祈っています。宇宙の別の場所には様々な生きものがいるかもしれませんが、私たちが直接関わりを持つことが出来るのは、今日この地球という惑星に生きている70億の人々なのです」
その後、謝辞に対する多大な賛同の声が湧き、式典が閉幕した。