仏陀に対する帰敬偈、『般若心経』、曼荼羅供養に続いて、『ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの祈願文』、密教大学の創設者であるジェツン・シェラブ・センゲ師への礼讃偈が唱えられた。読誦が終わると、法王は参列者に向かって次のように述べられた。
「現代においては、著しい物質的進歩がありましが、一方で、チベットは絶えず混乱の中にあり、心の休まる時がありませんでした。しかし、私たちのように一部のチベット人は亡命し、生活の糧のみならず、チベットの伝統をも維持することができました。そうしたチベットの伝統文化には、論理と道理によって実証するというナーランダー僧院の偉大な学匠たちの智慧が息づいています。このような文化を維持できたのは、セラ、デプン、ガンデンの三大僧院、そしてギュメ密教大学とギュト密教大学、タシルンポ僧院があったからであり、これらの僧院がチベットの伝統を守る役割を担ってきたのです」
「私たちが亡命してから60年近くが経とうとしています。すでに多くの方々が亡くなられましたが、1959年に亡命してきた方々の中にはナーランダー僧院の学匠の教えを受け継いだ先生方が大勢いて、若い世代を育ててきました。とりわけ『秘密集会(グヒヤサマージャ)』については、ツォンカパ大師が弟子たちに、『この教えを維持し、引き継いでいく者はだれか?』と尋ねられたところ、ジェ・シェーラプ・センゲ師が『私がいたします』と名乗り出られたのです」
「では、今から法話と『秘密集会』の灌頂を行ないます。『秘密集会』は、タントラの王者として知られています。タントラの真髄は双入の境地であり、仏陀の三つのおからだ(法身・報身・変化身)を成就することにあります。とくに『秘密集会』の教えには、死・中有・誕生という三つの段階を修行の道においてどのように実践するべきかについて特別な説明がされています。ナーガールジュナ(龍樹)、アーリヤデーヴァ(聖提婆)、チャンドラキールティ(月称)はみな『秘密集会』の註釈書を書かれており、ツォンカパ大師の著作は18巻の論集にまとめられていて、この中の5巻が秘密集会の註釈書となっています。密教大学が創設されていなければ、『秘密集会』の教えがこうして残ることはなかったでしょう。今日このような機会を実現するためにご尽力くださった皆さんに感謝したいと思います」

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ダライ・ラマ法王の法話に耳を傾ける1万人を超える僧侶と尼僧たち。2015年12月9日、インド、カルナータカ州フンスール、ギュメ密教大学(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、リン・リンポチェのリクエストによって4年前より毎年続けてこられたラムリム(菩提道次第)の法話会を、今回落慶法要が行われるタシルンポ僧院の新本堂で完結する予定であると述べられた。また法王は、タシルンポ僧院は論理学と認識論における学問の質の高さで知られていることを強調された。
法王は、「リン・リンポチェから秘密集会の灌頂を受けてからは生起次第の実践を毎日行なっている」と述べられた。そして、「秘密集会はツォンカパ大師がきわめて真剣に取り組まれた修行であり、五次第の実践を自分の心の中に培おうとする姿勢が大切である」と述べられ、聴衆にも毎日成就法(サーダナー)の実践を行なうことを強く勧められて、できればリトリートを行なうことを勧められた。
それに関して、法王は、「読誦するという方法が一般的であるが、ケドゥブ・リンポチェがアドバイスされているように、声に出して唱えずに実践できればさらに望ましい」としたうえで、「時間がある時には私もそのようにしている」と述べられた。そして、前リン・リンポチェは非常に綿密で完璧な修行を行われ、集中が途切れることがあればそのセッションを再度繰り返して行われたことを述べられた。秘密集会の修行にも、一般的な修行として菩提心を生起することと空の理解を育むことが必要とされる。
法王は、ツォンカパ大師の『縁起讃』と『私の目指したことはすばらしい』という自伝について解説されることを告げられた。そして、八つの世俗的な関心(世俗の八法)に心が乱されているときは仏法を実践していることにはならず、菩提心を起こしていなければ大乗仏教の修行をしていることにはならない、と述べられた。
「テキストに入る前に、まず一般的なことからお話したいと思います。ここに集まった数千万人のうち、9千人近くは諸外国から来られた方々です。私たちはみな、『一切の有情たちが幸せとその因を得ることがでますように』と祈ります。シャーンティデーヴァは、『自分の幸せを他者の苦しみと交換することができない者は、決して悟りに至ることはできない。たとえ輪廻の中においても、幸せを見いだすことなどできない』と述べておられます。同時に、今日の世界では、宗教の違いをめぐって争いが起こり、時には殺し合いさえも起きています。私たちはみな同じ人間であり、だれもが幸せを求め、苦しみを避けたいと願っています。それなのになぜ争い合うのでしょうか?なぜ他の人たちを苦しめるのでしょうか?そのようなことをして幸せになれるのでしょうか?このように考えるならば、『母なる一切有情がみな幸せでありますように』という祈りがきわめて尊いものであることがわかるでしょう」

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ギュメ密教大学での法話の初日、お話をされるダライ・ラマ法王。2015年12月9日、インド、カルナータカ州フンスール、ギュメ密教大学(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「他の人たちのためにできることがあれば、それをしなければなりません。利他の心は幸せの源です。宗教の真髄は、思いやりのある優しい心を持つことにあります。これはすべての伝統宗教が教えていることです。すべての伝統宗教が他者への思いやりという同じメッセージを伝えているのです。哲学的な見解はさまざまですが、創造主としての神を信心している宗教も、信心していない宗教も、愛と思いやりを深めることが目的であることは同じなのです」
「チベット仏教の伝統はすべてインドに源があります。私たちチベット仏教徒はみな、同じ仏陀の教えに従い、ナーランダー僧院の伝統を守り続けています。以前、『秘密集会』の灌頂を行なった時はケンポ・ジグメ・プンツォク師が来てくださいましたが、今回はサキャ・ティジン・リンポチェが来てくださり、とても嬉しく思っています。私たちがチベットにいた頃は異なる宗派の導師たちが顔を合わせることは稀でしたが、亡命後はこうして会えるようになっただけでなく、お互いに親しく付き合えるようになりました」
「私たちはみな、人間として同じなのですから、私は人間としてのよい資質を高めるために努力しています。またひとりの仏教僧としては、異なる宗教を信心する者たちの相互理解を深め、調和をはかるように努めています。さらに私はチベット人であり、チベット本土にいる多くのチベット人の希望を担う身でもあります。ですから、政治的最高指導者としての責任はすでに委譲していますが、チベットの言語、チベット仏教の深遠なる哲学的な見解、そして、私たち人間の感情のはたらきを理解するためにナーランダー僧院の伝統を守る責任があります。それに加えて、私はチベットの環境問題を大変危惧しています」
続いて法王は、ツォンカパの『縁起讃』を快活な速度で読み始められた。法王は、無知を克服する必要があること、縁起の理解によって二つの極端論を克服することができることを強調された。そして、ご自身の問答の補佐役の中でも、ゴドゥプ・ツォクニが中道の見解について特に聡明であったことを思い出され、第19偈がいかに重要であるかを述べられた。
- 「縁起を理由に、極端論に依存しない」
- というこの善き教えは
- 守護者であるあなたが
- 無上の説法者である理由である
法王は聴衆に向かって、ツォンカパ大師の足跡に従うようにと助言されると、ツォンカパ大師ご自身がどのように学問をされ、修行をされたかを記した『私の目指したことはすばらしい』という自伝を読み始められた。学問の本来の目的は、無知を克服することであるが、現代では物質的な進歩が求められる傾向があり、内面的な心の成長も必要であると述べられた。

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ダライ・ラマ法王の法話が行われているギュメ密教大学本堂の外観。2015年12月9日、インド、カルナータカ州フンスール、ギュメ密教大学(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、自慢ではないが、幼いころから中観の見解や菩提心生起についての教えを学んできたことを語られた。そして、最初は菩提心を起こすことがとても難しく感じられたが、クヌ・ラマ・リンポチェの解説を受けてからは、少なくとも菩提心を育むことは可能だと感じることができるようになった、と語られた。また1960年代に、ツォンカパ大師の『中観密意解明』(入中論註釈)を読んでおられたとき、すべてのものは単なる名称でしかないと書かれた一節に、稲妻に打たれたような衝撃を受けたと述べられ、さらに次のように語られた。
「学び、探求する道を進む以外に方法はありません。皆さんもたゆまず努力を続けていけば、自分自身の心によき変容が起きていることに気づくことでしょう」
続いて法王は、ダライ・ラマ7世が著された『中観の四念住』(中観の四つの注意深い考察)の中で、上師の瞑想(上師の念住)と菩提を熱望する瞑想(慈悲の念住)について書かれていることにふれられて、その着想の源として、ツォンカパ大師の『修行道の三要素』より次の偈を引用された。
- 〔欲望、邪見、無知などの煩悩の〕四つの激流に押し流されて
- 絶ちがたい業にきつく束縛され
- 我執という鉄の檻に閉じ込められて
- 無明の厚い暗闇に覆い尽くされている
- 限りない輪廻の生を繰り返し
- 三つの苦しみに絶え間なく苛まれている
- このような母なる〔有情〕たちのありようを思い
- 最上なる〔菩提〕心を起こしなさい
これに続く『中観の四念住』の偈では、自分のからだを本尊のおからだとして観想する瞑想(本尊の念住)、空の瞑想(空の念住)について説かれている。
最後に法王は、チョネ・ラマ・ロブサン・ギャツォ師が著された『縁起讃』の註釈書を読み始められ、「明日予定されている『秘密集会』の本灌頂の準備の儀式が始まるまでに読み終える」と述べられた。法王は宿舎に戻られ、1万人の僧侶や尼僧を含めた群衆も会場をあとにした。