「インドは言うまでもなく、長きにわたって私の心のふるさとでしたが、この57年近くは実際の住処でもあります。皆さん、ようこそいらっしゃいました。最初に申しあげておきたいのですが、この会談は人間の仲間同士の非公式な対話です」
ブルックス所長はまた、アメリカの精神科医ハワード・カトラー氏に対して法王が話された幸福な生き方の四つの秘訣、すなわち悟り、精神性、世俗的な満足感、富についても触れた。この中に最後の二つの要素が含まれていることに驚いたが、世俗的な満足感とは自らの人生を楽しむべきであること、ただしそれは他者のためになることで自らの人生を楽しむということである。富の定義としては、ムンバイのダラヴィ・スラムで出会った人が自慢げに言った次の言葉を引用して述べた。
「私は建物を造った。それで私は収入を得て、他者の役に立った」
ブルックス所長が紹介した第1部のパネルメンバーは、オリッサ州選出ジェイ・パンダ下院議員、ロサンゼルス在住のグジャラート人、企業経営者でヨーガ修行者であるパレシュ・シャー氏、現在AEI研究員で元ニューヨーク市人的資源管理局元局長のロバート・ドア氏の三名である。ブルックス社長はこの三名に質問した。「貧困の中にあって意義のある生き方とは何でしょうか?」
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ダライ・ラマ法王公邸で開催されたAEIシンポジウムのパネルディスカッション第1部に参加するパレシュ・シャー氏 (左)とジェイ・パンダ氏 (右)。2015年11月4日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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ジェイ・パンダ氏は、威厳をもって貧困から脱した人々を見てきた自身の経験を語った。ある年老いた女性がパンダ氏の活動に共感し、10ルピー(約18円)を自分に寄付してくれたのだという。また、オリッサ州の部族の村で見た質素な住宅は清潔で、中流家庭の住宅と変わらないとも述べた。
パレシュ・シャー氏は、富をエネルギーだと考えれば、富は流動しなければならない、富は分かち合うものであり、そうすることでより大きな富が戻ってくるのだと述べた。また、われわれ人間は他者を助け、癒し、活気づけるための富を分かちあうために存在する器であると語り、次のように続けた。
「私たちの内的な世界が外的な世界を形づくるのだということを私たちは学びます。私たち自身の感情が健全であればどんな人の心にも触れることができるのです」
ロバート・ドア氏は、ニューヨークで勤務していたころに出会った男性について語った。男性は刑務所から二度釈放され、二度刑務所に戻り、大きな苦難を経験した。しかしその後、男性は立ち直ったという。ドア氏がその理由を尋ねると、男性はこう語った。「自分は立ち直れるということに、ようやく自分で気づいたのです」 貧困への取り組みについて、ドア氏は、セーフティーネットはもちろん必要ではあるが、まず本人の責任感と威厳がなければならず、人は誰でも自力で立ち上がれるという希望が必要なのではないかと語った。
アーサー・ブルックス所長から意見を求められ、法王は次のように答えられた。
「私たちはみな、喜びと痛みの感情を持つ生き物です。すべての生き物は自らの命に愛着がありますが、脳の大きさにより、知性のレベルに違いがあります。私たち人間は最も知性が高く、その知性を使うことで世界をより良く変えていくことができるのです」
「私たちは誰でも幸せに生きたいと願っています。悲惨な生き方をしたいと思う人はいません。しかし、私たちは自らが作り出す問題をどのように克服するのか、その方法を自ら見出さなければならないのです。私たちが作り出している問題は、温かい心があれば起きないものであり、怒りや嫌悪、自己中心的な心に屈してしまうから問題が起きるのです。私たちには知性があるので、物事をより広い視野でとらえることができること、また怒りや嫌悪は心の平和を乱し、家庭内での温かい空気を壊してしまうことも理解できます。実際に、ある場所に緊張感が漂い、猜疑心に満ちていれば、その場所はもはや自分の居場所ではないと言えるでしょう」
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AEIシンポジウムでアーサー・ブルックス氏の質問にお答えになるダライ・ラマ法王。2015年11月4日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
「私たちは社会生活を営んで生きていく動物であり、70億人すべての人類の幸せを考慮しなければいけません。今日、物質的には顕著な発展を遂げましたが、今ここでこうして私たちが話している間にも、別の場所では人々が武器を振りかざし、お互いを殺しあっているのです。宗教の名のもとに、そんなことをする人もいます。考えられないことです」
法王は、アメリカで「やさしさの街、思いやりの街」を宣言する都市がいくつもあることに触れられ、インドも同様にすべきだと述べられた。さらに、以前はビジネスマンとは自分たちが利益を得て他者から搾取することにしか関心がないものだと考えていたが、それがかつて世界を支配した宗主国の国々の実際だったのではないか、しかしながら人間として私たちには愛が不可欠であり、金銭だけでは愛を与えることはできない、と述べられた。また、貧富にかかわらず、胃の大きさは誰も同じであり、指が10本しかないことも誰も同じであるとも語られた。
「私たちは、貧富の格差を埋めなければなりません。人々を向上させる方法を見つけなければならないのです。ここインドでは、人口が都市部に流れ続けていますが、地方の発展が急がれると感じています。裕福な人々にできることは、貧困層の人々に敬意を表しつつ施設や教育を提供することです。ただし貧困層の人々も努力を重ね、自ら自信を培うことが必要です。怒りや憤りに身を浸しても、何も得るものはありません」
「私たちは、すべての人類が一つの家族であることを認識することで、より幸せで慈悲深い世界を築くことができるのです。私の世代の人間が生きている間に実現するとは期待していませんが、努力すれば、より平等で、より慈悲深い世界をつくることができます」
「人は自らの尊厳を維持しながら、有用である道を見つけなければなりません。それができない人は、自らの命を無駄にする傾向があります。私たち誰もが世界を変える力を持っていると私は信じています。それはトップダウン式ではなく、一個人のレベルから始めなければならないことです。神に祈りをささげることで問題が解決するとは思いません。私たちの抱えている問題は、神がつくられたのではなく、私たちがつくったのですから、その解決方法も私たち自身が見つけなければならないのです」
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ダライ・ラマ法王私邸で開催されたAEIシンポジウムのパネルディスカッション第2部で発言するアシム・アビド・シャイク氏。2015年11月4日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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セッション第2部の司会は、AEIの外交国防政策研究所ダニエレ・プレッカ上級副所長が務めた。テーマはインドのスラムにおけるビジネスの構築である。AEIはムンバイのスラムのひとつであるダラヴィに特に関心を置いている。このスラムは130年の歴史があり、70万から100万人の住民が暮らしている。AEIは、いずれもダラヴィ出身の、旅行業のアシム・アビド・シャイク氏、営業職のムルティ・ラマスワミー氏、仕立業のモハンマド・アクラン・シャー氏、陶工のユスフ・ガルワ二氏と親しい関係にあり、この四名がパネルディスカッションに参加した。
アシム・シャイク氏は、ダラヴィの住民は自活しており、また良い生活を確保するために教育を受けようとしていると説明した。ヒンドゥスタン・リーバ社の浄水器を販売するムルティ・ラマスワミー氏は、自分の仕事は収入になるだけでなく満足感を与えてくれる仕事であるところが気に入っていると語った。また、安定した収入があることで娘たちが私立学校に通えること、その教育によりで娘たちが自信をもてるようになることを願っている、などと語った。さらに、自分は物乞いをしていないだけでなく、生命保険にも加入しているため、貧しい状況にはないと述べた。
陶工のユスフ・ガルワ二氏は、自身の祖父について語った。ガルワ二氏の祖父は、空腹で所持金もない状態でダラヴィに来た後、他に選択肢がない中で陶工を始めたという。また、ダラヴィの住民は多様な技術を持つ善良な市民であり、物乞いや政府からの支援ではなく、自らの努力により生活を向上させていると述べた。
元CEOで著名な有識者であるグルチャラン・ダース氏は、ガルワ二氏の話はインドでは底辺から発展が始まることを証明するものであり、そうあることで発展が持続するが、対照的に中国は上層部から発展が下る仕組みであると述べた。
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ダライ・ラマ法王公邸で開催されたAEIシンポジウムのパネルディスカッション第2部で発言するアクラン・シャー氏。2015年11月4日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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25年にわたって仕立業を営むアクラン・シャー氏は、政府が支援すべき分野は医療施設の充実とデング熱のような病気を撲滅する取り組みだと述べた。また、主要な宗教を持つ住民が上手に共生するダラヴィの社会的な調和を称賛した。
アーサー・ブルックス所長は自身のダラヴィでの体験について触れ、五つの点を挙げた。ダラヴィの可能性や多様な機会、持続する就労、良い生き方の一部となっている信仰、家族の強い絆、コミュニティーの強い絆である。ダニエレ・プレッカ上級副所長はパネリストたちに公平性について意見を求めたが、そのトピックには関心が寄せられず、それよりもパネリストたちは自分たちが取り組む仕事への愛や、自分たちが暮らす地域社会の絆を語ることに熱が入っていた。アシム・シャイク氏は、昨年自分がドイツを訪れる際には70人もの近隣住民が空港まで見送りに来てくれたのだと語った。
スラムという言葉の定義は政府の土地を不法に占拠することであるなど、さまざまな説明がなされる中、ジェイ・パンダ氏は、インド政府が運営する学校は施設が立派でも教育レベルが低く、反対にNGO団体やキリスト教団体の運営する学校は施設が貧素でも素晴らしい教育が行われていることが残念であると述べた。ロブサン・センゲ主席大臣は、慈悲心が重要であることを強調し、教育においては英語学習も大事ではあるが、他者への思いやりを持つことがどれほど大切かを教えることは、それよりずっと大きな効果があると述べた。
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ダライ・ラマ法王公邸で開催されたAEIシンポジウムのパネルディスカッション第2部で発言する聴衆席のチベット人参加者。2015年11月4日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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聴衆席のチベット人参加者が、自分が聞いたダラヴィの様子と、デリー郊外のチベット人居住区マジュヌカティラを比較して述べた。昔、当地では唯一のビジネスは酒造だったが、将来を考えた指導者らが住民たちに転職を勧め、現在は多様な魅力を備えた活気のある町に発展しているという。
意見を求められた法王は、「50年以上にもわたり、私の知識はすべてインドが源であり、私のからだもインドの米とダル(豆)から栄養を頂いているので、私はインドの息子だと考えている」と述べられた。さらにインドが重要な国である点を次のように挙げられた。世界最大の人口を持つ民主国家であること、おおむね安定して平和な国であること、何世紀にもわたって宗教的な調和が保たれていること、法治国家であること。これとは対照的に、中国には報道の自由も表現の自由も存在しない。
「私はよく、今行われている現代教育は、幸福な国の幸福な家庭に暮らす幸福な個々人を育成するには適さない、と話しています。それは、物質主義の考えに過剰に偏っているからです。西洋では人々は豊かな生活をしていますが、内なる心の平和がそれよりも大事であることに気づき始めています。全世界的に普遍の魅力を持つ伝統宗教は存在しませんから、世俗的な倫理観とすべての伝統宗教を尊重し、さらには宗教を持たない人々の価値観をも尊重する必要があるのです」
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法王公邸で開催されたAEIシンポジウムのパネルディスカッション第2部で話されるダライ・ラマ法王。2015年11月4日、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ダラムサラ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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最後に法王は、慈悲心について次のように説明された。慈悲心には二つの形が存在し、一つは自然に表れる本能のようなもので、自分が愛着を持っている友人や家族に対する愛情である。これには限りがあり、偏りがある。しかしながら、この類の慈悲心はより大きな慈悲心に育つ種子になり得るのだ。理や知性を用いることで、私たちは今もっている限られた慈悲心を他のすべての人たちにも向ける方法を学ぶことができるのである。その相手が誰であっても、一切の偏見を離れて、他のすべての人たちの幸せを願うことのできる心、これこそ真の慈悲心であり、人間だけが育てることができるものである。
本日のセッションは昼食前に終了した。代表団と法王が再び会するセッション2日目の最終日は明日に予定されている。