横浜(ツェリン・ツォモ 記)
ダライ・ラマ法王は今日の午後、横浜グランドインターコンチネンタルホテルで、異なる20の大学から集まった100名以上の大学生や教育関係者と対話をされた。司会を務めたのは著名なジャーナリストでテレビキャスターでもある池上彰氏である。ダライ・ラマ法王は21世紀を担う若者たちとの交流を喜ばれ、次のように語られた。
トークセッションの前に参加者に挨拶されるダライ・ラマ法王。2010年6月24日、横浜(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
「20世紀には、多くの小国家が統治権と国益を守るために暴力と流血沙汰の連鎖に陥り、人間が抱えている様々な問題を解決するどころか、さらなる暴力を引き起こすだけでした。しかし、21世紀を迎えた今、私たちは新しい現実に直面しています。各国が孤立したままで、些細な自国の国益を追求してばかりいることはできません。」
「新しい現実に直面している現代では、争いごとや問題を解決するために、物事をもっと全体的にとらえる必要があります。そうすれば、平和と幸福を個人のレベルだけでなく、グローバルなレベルで達成することができます。すべての人たちの幸せを追求することは、個人の幸せを追求することにつながるのです。」
「物事を広い視点に立って見ることを強調する『相互依存』という仏教の考え方は、地球温暖化や世界経済から、家族経営のビジネスや個人の幸福まで、幅広いレベルの問題を解決するために適用することができます。問題を一つの観点だけから見て、問題全体を構成する一つひとつの部分を無視してしまうと、現実的なものの見かたをして問題を解決することができなくなってしまいます。地球規模で物事を捉えた方が、狭い視点で問題を考えるよりもずっと自由で解放的だと思います。」
法王はまた、より平和な世界を願う気持ちを表しながら次のように述べられた。「戦争についての考え方や精神性において、人間は徐々に成熟してきています。20世紀半ばでは、多くの国が核兵器を開発する競争に明け暮れていましたが、20世紀後半には倫理観の危機に直面して、多くの人たちが物質的な発展には限度があると気づき、心の平和を求めるようになりました。」
「アメリカやロシアなどの大国は、核兵器を減らすことを真剣に検討しています。EU(ヨーロッパ連合)成立の裏で強調されてきたのは、各国の国益よりもヨーロッパ全体に共通する利害を重視するという精神です。この進展が、よりよい世界を構築できるという希望をつなぎ、その可能性を提供してくれます」と法王は述べられて、先のイギリス皇太后陛下が、「私が若かった頃には知られていなかった人権と自己決定権が、今では世界的な価値観に成長しています」と法王に話された思い出を語られた。
トークセッションでのダライ・ラマ法王と日本語と英語の通訳。2010年6月24日、横浜(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
さらに、法王は次のように述べられた。「幸福や平和を保証してくれるものなど何もありませんが、これらの理想を現実化するために、希望をもって働き続けることが大切です。希望を持つことはよいことです。希望は命を支えてくれるからです。希望を失うと寿命は短くなり、人は鬱や孤独に陥って、自殺にさえ追い込まれてしまいます。常に怒りや恨みを抱えていると、我々の免疫機能は低下してしまうという事実は、最近の科学的研究により詳しく明らかに論証されています。健全な心が健康なからだを作るのです。」
「どのような宗教の伝統でも、幸せな毎日を送るためには、誠実さ、慈悲の心、正直であること、透明感のある裏表のない行動をすることが大切であると説かれています。その実践方法は異なっていても、教えの趣旨は同じです。仏陀釈迦牟尼も、弟子たちの中には様々に異なった気質を持った者たちがいたため、それを配慮されて、難解な見解だけを説くことを避け、それぞれの弟子たちに適した教えを説くために、矛盾するようないくつかの哲学的な見解も示されたのでした。」
「他者との人間関係において、私たちが常に正直な態度でいれば、何も隠したり、偽善に陥ったり、嘘をついたりする必要はありません。この『世俗の倫理観』は、すべての宗教に共通する道徳観であり、私たちの内面的価値を高めてくれる土台です。二つのグループが対立して争っている時も、対話と和解の精神でもめごとを解決するために役に立ちます。すべての宗教は、私たち人間の内面的価値を高めていくために役立っているという点で、みな同じ力と可能性を持っているのです。つまり、『内なる富こそ最良の友』なのです。」
法王は、世界規模の経済格差問題についても触れられて、次のように述べられた。「先進国は過剰な富を得て、発展途上国は飢餓に苦しんでいるというこの矛盾は、倫理観の危機であると同時に、解決可能な現実の問題です。」そして法王は、貧困層を対象に、自営の仕事を見つけるための小口金融を提供する低金利の無担保融資(マイクロクレジット)を行なうNGO、バングラディシュのグラミン銀行(創設者のムハンマド・ユヌス博士はノーベル平和賞を受賞)を例に挙げ、このようなNGOの活躍を称賛された。マイクロクレジットの仕組みは、貧困撲滅に有効であるとして、他諸国にも広がっている。
ダライ・ラマ法王とのトークセッションに参加した学生たちと教育関係者。2010年6月24日、横浜(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
それに関して法王は、かつて法王の祝福を求めて会いに来た、ボンベイに住む裕福なビジネスマンについての話をされた。その時法王は、「祝福の源はあなた自身の心の中にあります。もしあなたの財産のほんの一部を、ボンベイのスラム街で暮らす何千人もの貧しい人たちに分け与えることができれば、それが祝福を得る最善のやり方ですよ」と彼に語られたそうである。
東京大学4年生の戸田ヨシキさん(22歳)は、自分も仏教徒ですが、と前置きした上で、「今日の法王との対話は、環境問題について新しい考え方のヒントを与えてくれました。ちょうど今、地球の環境問題について卒論を書いているのですが、仏教哲学がこういった非常に科学的な論文を書くためにどれだけふさわしく、役に立つものかを知りました」と述べていた。
上智大学の学生である菊池ミカさん(21歳)は、以前インドのダラムサラを訪れた時、チベット難民たちが数々の困難にも関わらず、明るく幸せそうに見えたことに大変驚いたという経験を法王に語った。それに対して法王は、「それは篤い信仰心のためだけではなく、文化的な背景から、チベット人はどんな問題や困難の中でも、ポジティブな側面を見出すことができるように育てられてきたのです。仏教の経典について深い知識を持っていないチベット人も一般的に幸せであり、それは、生きとし生けるすべてのものたちへの慈悲の心を大切にするチベットの文化遺産のおかげだと思います」と答えられていた。
最後に、司会の池上彰氏は、「日本の若者たちは、法王の非暴力・平和・思いやりの考え方から多くのことを学ぶことができると思います。ダライ・ラマ法王は、現代におけるガンジーのような存在です」と語った。
今回のトークセッションは、日本の三大出版社の一つである講談社の主催、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所の後援により開催された。講談社は、本日のセッションの内容をまとめ、今年中に出版の予定である。(『ダライ・ラマ法王に池上さんと「生きる意味」について聞いてみよう』ダライラマ14世・池上彰著 2010年12月1日刊行 講談社)