インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラ
ダライ・ラマ法王は本日早く法王公邸からカーラチャクラ堂まで徒歩で向かわれた。ツクラカンの中庭では大勢のロシアからの人々が笑顔で法王に挨拶をした。法王はツクラカン本堂の釈迦牟尼像に参拝された後、カーラチャクラ堂に入って着座された。
ナムギャル僧院事務長が第1回カーラチャクラ学僧会議に参加したチベット仏教全宗派からの出席者を歓迎した。ナムギャル僧院の僧侶たちが整列して着席し、釈迦礼讃偈と、ナーランダー僧院の17人の成就者たちへの礼讃偈を唱え、その後お茶と祝事用の甘く味付けしたご飯がふるまわれた。
「外部から参加した学者は何人ほどいますか?」との法王の呼びかけに、20名ほどが挙手して答えた。
法王は次のようにお話を始められた。
「私はこのところ体調がすぐれませんでした。4月8日には元気でデリーから戻ってきたのですが、翌9日には体調を崩し、治療のためデリーに戻りました。結果的には私の病気は深刻なものではないと診断されましたが、治療に体力を消耗してしまいました。今は回復しましたが、もう少しゆっくり休養することが必要です。周囲の者から、もう少し公務を減らすようにと常に言われていますので、これからは人と面会するのを一日おきにしようと思います」
ナムギャル僧院長で、ナムギャル僧院教育局長も務めるタムトク・リンポチェが、法王とサムドン・リンポチェの第1回カーラチャクラ学僧会議へのご出席を歓迎した。タムトク・リンポチェは、“シュリー・カーラチャクラ” という名は、本尊のお姿として生起した大楽と空の合一という意味であることを明らかにした。釈尊が最初にカーラチャクラ本尊のお姿で現れてこの教えを説き、その後教えはシャンバラ国へと伝えられた。
「カーラチャクラに関しては、ニンマ派、サキャ派、カギュ派、ゲルク派、ジョナン派、プトゥン派のチベット仏教全宗派の学者たちによって記された広大な著作があります。この伝統は今も生きています。ツォンカパ大師はカーラチャクラの教えを正統なる伝統と捉え、カーラチャクラの六座ヨーガを修行されました。デプン僧院創設者のジャムヤン・チュージェは、大師はカーラチャクラのヴィジョンを見たと記録しています。後にダライ・ラマ7世ギャルワ・ケルサン・ギャツォは広大な成就法を著し、ナムギャル僧院でそれを修行するよう進言されました。法王は、世界中で何十万人もの人々にカーラチャクラ灌頂を授けてこられました。つまり、その完全な修行が損なわれることなく今も維持されているのです」
「私たちはツォンカパ大師の法脈を継ぐものとして、釈尊の教えを、釈尊とその仏弟子たちがされたのと同じように修行するのが私たちの責任です。私たちはこの会議を修行の供養とみなしています」
「ジャムヤン・チューキ・ロドゥは法王に捧げる自作の長寿祈願文、『不死の甘露の調べ』の中で法王をカーラチャクラの人身の顕現であると表現しています」
「私も法王のご長寿と、法王の慈悲深い願いが叶いますように、チベット人が再び一つになれますように、お祈り申し上げます」
ナムギャル僧院の学長が今後3日間の会議の次第を説明した後、法王にスピーチを請願した。
「私は常々21世紀にふさわしい仏教徒になるべきことの重要性を説いています。昔のチベットでは、チベット三域(中央チベット・アムド・カム)に住む人々は全員仏教徒でした。ボン教徒でさえ仏典を学んでいました。仏教は国の隅々に行き渡り、人々は儀式と祈願に多大な信心を捧げていました。しかし、仏陀の教えの真の本質とは何でしょうか? インドにあった一点集中の瞑想(止:シャマタ)と分析的な瞑想(観:ヴィパッサナー)に加え、仏陀は因果の法と縁起の見解を説かれました。さらに仏陀は、自己を規制する穏やかな心は幸せをもたらし、かき乱された心は不幸をもたらすということに基づいて、どのように心を変容させるべきかを説かれました」
「そして、四諦十六行相(『四つの聖なる真理(四聖諦)』に付随する各々4つずつの特徴)や『三十七道品』の教えは、小乗、大乗に共通の教えです。初転法輪では大枠が示され、第二法輪ではより詳しい説明が加えられました」
「私が誰かに釈迦牟尼像を進呈する時は、釈尊は古代インドの思想家であり、科学者であったと説明しています。その教えは論理と考察、分析によって理解することが可能であり、また我々自身の経験に照らしてわかるものです」
「さらに、カーラチャクラに関して言及するなら、いったいシャンバラとはどこにあるのか?という質問は避けて通れません」と法王は笑っておっしゃった。
「この地球上にはないようにも思えますが、仏典を注意深く読まねばなりません。正直に言って、『ジャータカ(本生譚)』に書いてあることは、時々信じがたいこともあり、誇張された部分もあるでしょう。しかし、『般若心経』に関して言えば、『色即是空、空即是色、空不異色、色不異空』と述べられているその内容に、私は一片の疑いもありません」
「もし、仏陀の教えを、菩薩の十地や悟りに至る五つの修行道の結果として得られる一切智の境地の観点から説明できるなら、仏教は間違いなくこの先何世紀も生き延びることができるでしょう」
ここで法王は、カーラチャクラの法脈についてジョナン僧院の僧侶たちとプトゥン・リンポチェの弟子たちがこの伝統を引き継いできた主な修行者たちであると述べられた。チベットにはパンチェン・パルデン・イェシェがシャンバラ国に行き、タシルンポ僧院に大量の米の山を持ち帰ったという伝承がある。インドの偉大な導師たちの中にはカーラチャクラの伝統を受け入れなかった方々もいて、レンダワもその一人とみられる。法王はさらなる学びと研究が必要であること、理解したことを修行に生かし、本物の体験を得られたかどうか検証することを推奨された。
カーラチャクラの六支分の修行については、ジョナン派が日夜精進し、その成就のしるしを得ている。法王は、カル・リンポチェが示された眉間に眼力を集中する特別な修行について言及された。リンポチェはカーラチャクラに関連して大楽と空の修行についても暗示され、空、甚空、大空、一切空という四つの空のうち、第4番目が死の光明の心とされることも暗示的に明らかにされた。さらにリンポチェは、釈尊が、第二法輪では苦の止滅の境地について詳しく述べられ、第三法輪では原初から存在する光明の心について語られたことを想起された。
最後に法王は、寺院や僧院の建立はダルマの建立と同じであるという人々もいるが、“仏陀の教えの行く末は学習と修行にかかっている” とのヴァスバンドゥによる率直な意見を述べられた。
「経典や典籍を学ぶことも大切ですが、その内容は自分で現実的に裏打ちすべきです。そうして初めて仏教の存続が確実になります。今皆さんがしていることを継続しつつ、これを他の人にも教えてください」
会議が終了すると、法王はナムギャル僧院の僧院長と僧院規律長に付き添われ、階段の下から車で法王公邸に戻られた。