インド、ジャンムー・カシミール州ラダック地方レー
今朝、ダライ・ラマ法王がシワツェルの法話会場へ到着されると、チベット子ども村(TCV)の生徒たちはラダック公立学校の生徒たちとの問答を披露した。法王は、会場の左側の西洋人たち、右側の中国語圏の人たち、正面のラダック人とチベット人、そして緋色の袈裟を纏った出家者たちの順に、会場を埋め尽くす聴衆に向かって手を振られた。
法王は、『般若心経開経偈』を唱えられると、すぐに法話を始められた。
「私たちは数え切れない問題を抱えています。人々はその苦しみや問題を日々私に訴えてきますが、それらはすべて、私たちの五蘊、つまり、心とからだの構成要素の集まりに依存して生じてきます。そこで、これらの問題をなくすことはできるのか、という疑問についてですが、仏陀は、苦しみが私たちに本来的に備わっている本質の一部なのかどうかを尋ねられました。もしそうであるならば、私たちは苦しみをなくすことはできません。しかし仏陀は、苦しみは心の本質とは異なるものだと述べられ、苦しみはなくすことがきると説かれました。ですから、私たちは滅諦で示されている苦しみの止滅の境地に至ることができるのです」
「『般若心経』の真言に最初に述べられている「ガテー」は、悟りに至る五つの修行の道(五道)の第一の道である資糧道に行け、という意味です。一般的な修行道の観点から言えば、苦しみから解放されたいという堅固な決意を起こした時に第一の道である資糧道に入りますが、大乗仏教の観点からいえば、悟りを得たいという堅固な熱望を起こした時に資糧道に入ることになります」
「マイトレーヤ(弥勒)は、『現観荘厳論』で、般若波羅蜜(完成された智慧)の教えの隠された意味を菩提道次第として説かれました。そして、ナーガールジュナ(龍樹)はご自身の著書の中で、般若波羅蜜の教えで明らかに説かれた意味、すなわち空を理解する智慧について説かれました。これこそ私たち自身の心によき変容をもたらすために育むべきものであり、滅諦に至らしめる智慧なのです。また修行道に関しては、アーリヤデーヴァ(提婆)が『四百論』で次のように述べられています」
「ナーガールジュナ(龍樹)は『宝行王正論』の中で、一時的な目的として来世において善き生を得ることと、究極の目的として一切智の境地に至るべきことを説かれています。つまり、まずは煩悩の束縛から解放されて輪廻からの解脱を得ること、次に煩悩の残した痕跡である微細なレベルの汚れ(所知障)を滅して一切智の境地に至るべきことを説かれているのです。シャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』の観点からも、最終目標は完全な悟りであり、一切智者の境地です。さらにナーガールジュナは、自分自身や他者のために卓越した悟りを得るためには、慈悲の心、菩提心、空の理解が必要であると説かれ、智慧は悟りに、慈悲の心は有情に、焦点を合わせていると説明されています」
「本物の慈悲の心を体験するためには、苦しみついて知り、苦しみは断滅することができるということを理解しなければなりません。そして悟りに至るには、慈悲の心、菩提心、空を理解する智慧が必要なのです」
法王は、昨日は『入菩薩行論』の第4章まで読み終えたので、今日は第5章から読み始めると伝えられた。第5章は、「〔菩薩の〕実践を守ろうと望む者は、よく注意して心を守るべきである」という適切な助言から始まる。法王は、17偈で言及している「心の秘密」とは、自らの心自体の空について瞑想することであるとされ、心の本質について瞑想し、集中することはとても効果がある実践だと述べられた。
法王はさらにテキストを読み続けながら、師に頼る際は、完全な資格をそなえ、三学(戒律・禅定・智慧)の実践を維持している師に頼ることが重要であると指摘された。また、心の本質について瞑想する際は、明らかで汚れがなく、対象物を知ることができるという心の本質に集中する必要があると述べられた。
法王は、先進国では、音楽や映画、おいしい食べ物、おしゃれな服といった快楽を追い求める傾向があることを暗に示されて、これらのすべては感覚的な満足を得るだけのレベルであり、動物でさえ理解できるものであると述べられた。人間と動物を区別するものは、人間に特有の知性と、心の平穏に基づいて幸せを見出す能力である。法王は、深い精神的な満足感があれば、感覚的な満足を得たいという欲望は次第になくなっていく、と語られた。
このテキストの中で、経典を読むようにと勧められている箇所では、法王はカンギュル(経典)が100巻、テンギュル(論書)が200巻以上に及ぶことに言及され、仏教徒の実践は非暴力であり、仏教徒の見解は縁起であると要約された。
第6章「忍耐」を読み始められると、法王は、忍耐の持つ3つの側面を明らかにされた。すなわち、誰かがあなたを傷つけても怒らず自制するという忍耐、トラブルに直面した時の忍耐、そして究極のもののありよう(真如)についての洞察を深めるための忍耐である。また、第8章で説かれている「自分と他者の立場を入れ替えて考える」という修行によって菩提心を生起する場合も、忍耐は重要であるとされた。
法王は、力によって問題を満足に解決することができないのは、その問題の根源が私たちの歪められた考えや、誇張された捉え方にあることが理由のひとつになっていることが多い、と指摘され、このことはナーガールジュナのアドバイスにも適合していると述べられた。そしてその根拠として、ナーガールジュナの『中論』より、第8偈を引用された。
法王は明日も法話を続けることを約束され、それに加えて、白ターラー菩薩の長寿灌頂も授けることを伝えられて、本日の法話会を締めくくられた。