インド、タミル・ナードゥ州 チェンナイ
ダライ・ラマ法王が飛行機でデリーから到着された早朝、チェンナイ市は水浸しになっていた。週末中降り続けた大雨と風はまだ止んでいなかった。車は、雨水で溢れた道を水しぶきをあげながら通り過ぎ、交通整理の警官が着ているレインコートは雨水で重たそうだった。

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アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞受賞式典の会場に到着され、聴衆に挨拶をされるダライ・ラマ法王。2015年11月9日、インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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A.P.J.アブドゥル・カラム元大統領が7月下旬に突然逝去した後、アブドゥル・カラム・ビジョン・インド運動は、マドラス経営協会と共に、アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞を創設した。この賞には、植林、汚染水の影響による中毒患者の治療、水源の浄化、安全な飲料水の供給や、緑豊かな学校や村や街作りをしている個人や団体の顕著な貢献を認めるためだけではなく、アブドゥル・カラム博士を讃えて記念とする意図もあった。マドラス経営協会のT.シヴァラマン氏は、著名人や賓客への歓迎の辞で、ダライ・ラマ法王を主賓としてこの機会にお迎えし、一人の偉大なリーダーに、別のリーダーを讃えることをお願いしたと述べた。
T.シヴァラマン氏は、「心に正しさがあれば、性格に美しさがあります。性格に美しさがあれば、家庭に調和があります。家庭に調和があれば、国家に秩序があります。国家に秩序があれば、世界に平和があるのです」というアブドゥル・カラム博士の言葉を引き、「お寺が必要なければ、複雑な哲学の必要はない。私たちの頭と心が私たちのお寺であり、哲学は親切心です」という、以前法王が話されたことと比較した。

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アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞受賞式典でスピーチをするT.S.クリシュナムルティ前選挙管理委員長。2015年11月9日、インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
T.S.クリシュナムルティ前選挙委員長は、第1回アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞のほとんどは、タミル人に贈られることに言及した。将来は、全国を視野に入れる計画である。CBI(中央捜査局)の前特別代表で、国家人権委員会の前代表のD.R.カディケヤン氏は、アブドゥル・カラム元大統領の謙虚さ、思いやりと研究心を讃え、プラナブ・ムカルジー現大統領が、アブドゥル・カラム博士を「人々の大統領」と宣言した事も述べた。また、葬儀で、何千人もの人がアブドゥル・カラム博士の例にならい、彼のように生きることを誓ったことにも言及した。
アブドゥル・カラム博士の成長と科学者としての功績を描いた短いビデオが上映された。ビデオは、鳥の飛行についてのある先生の説明に想像力が掻き立てられたという博士の懐かしい思い出話から始まった。10年以上アブドゥル・カラム博士へのアドバイザーを務めたV.ポンライ氏は、彼と共に働いたことについて感動的に語った。著名なカルナティック地方の声楽家のアルーナ・サイラムは、「エンダロ・マハヌバヴル」を歌った。これは、「私より先に逝った全ての偉大な人々への敬意」という意味の言葉で始まる歌である。K.N.バシャ裁判官はタミル語で響き渡るスピーチをした。

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アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞を授与されるダライ・ラマ法王。2015年11月9日、インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁) |
賞の授与に続いて、ダライ・ラマ法王のお言葉をいただくことになった。法王はチベット語で、「インドは多くの偉大な思想家や哲学者を生み出した非常に古い歴史を持つ国である」とお話を始められた。そして、次のように語られた。
「もうアブドゥル・カラム博士は私たちと共にはおられませんが、アブドゥル・カラム博士の魂は、博士に対する私たちの称賛の中に生きています。私たちは皆、これを生かし続けていかなければなりません。今回の受賞者の皆さんに、私のご挨拶と前途への祝福を捧げたいと思います。私はノーベル平和賞を受賞した時、私がしたかもしれない小さな貢献を認めていただいたしるしとしてこの賞をいただきます、と述べました。それと同時に、この受賞は、平和と対話を守ることをこれからも私が続けていかなければならないことを意味するのだということも再認識しました。私は皆さんにもそれをお願いしたいのです。気を緩めず、人々の希望をかなえるためにもっと努力して、良い仕事を続けていただきたいと思います」
「私が最初にチェンナイを訪れた時は、マドラスと呼ばれていましたが、1956年のことで、仏陀の生誕2500年祝賀祭のためにインドに来ました。ですからこの有名な街には親しみがあります。1959年か1960年に再び来た時は、ラジャ・ゴパラチャリが私を迎えてくださったことを覚えています。今回は、たくさんの建設が行われているのに気がつきました。これは世界中で見られる現象ですが、人々が喜びや平和を心で感じることほど重要なわけではありません。たとえ大きな家に住んでいても、もしその家がストレスと不安で一杯だとしたら、そこに住んでいる人たちは幸せではありません。肉体的な心地よさが心の平安をもたらしてくれるわけではないのです」と法王は語られた。

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アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞受賞式典でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2015年11月9日、インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「この国は、私たちの心がどのように働くか、感情が果たす様々な機能についての深い認識を育み、蓄積してきました。私たちの破壊的な感情(煩悩)にどのように立ち向かうかを理解することは、非暴力と許容の概念を高めています。それにより、インドには全世界の主要な宗教のほとんどが存在していますが、そういった異なる宗教が調和を保ちつつ共に暮らしているのであり、その意味で、インドは世界で唯一の模範国となっているのです。時には、調和が破られることもあるのを私は知っています。しかしそれは、どの社会にも存在する問題を起こす迷惑な人々のせいにすぎません」
「全体的には、様々な異なる見解が存在するにも関わらず、異なる宗教的伝統が互いに尊敬し、共存できる例をインドは世界に示しています。そこで私は、『皆さんは、心と感情の働きについて古代から育まれてきた深い理解と、現代の科学的知識と開発を組み合わせられる非常に恵まれた状況を得ているのですよ』とインドの友人たちによく話をするのです」
また法王は、アブドゥル・カラム博士が、イスラム教の背景を持つスピリチュアルな心を持つ人であったことを話された。そして、つい最近博士の家を訪問された時、博士がシャーンティデーヴァ(寂天)の『入菩薩行論』を読んでいたことを思い出され、それについて語られた。博士は、シャーンティデーヴァが書かれた二つの詩頌が非常に好きだと言って、その詩頌が載っているページに法王のサインを求めた。そこには、次のように書かれていた。
- 地などの四大や虚空のように
- 常に数限りない有情のために
- 様々な方法によって
- 有情の生存の源となれますように
- そのように虚空が果てるまで
- 常に有情世界に対して
- 一切有情が涅槃に至るまで
- 私がその生存の源となれますように

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アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞受賞式典でダライ・ラマ法王のスピーチに耳を傾ける聴衆。2015年11月9日、インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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法王は、自らが属する20世紀の時代は終わり、これからを生きていく21世紀の世代を区別して考えていると語られた。
冗談半分で、「私たち20世紀の人間は、環境破壊を含めて様々な問題を作りだし、21世紀に属する皆さんが解決しなければならない仕事をたくさん残してしまいました。しかし、私たちが今努力すれば、今世紀の終わりまでに、皆さんが生きている間に、より平和で調和がとれた思いやりのある世界を作れると信じています」と述べられた。
「私たちは、肉体的にも、精神的にも、感情的にも同じなのです。幸せな人生を生きたいという同じ望みを私たちは皆持っています。しかし、強い自己中心的な考え方によって、他の人たちを「私たち」と「彼ら」という敵味方に分けて見てしまい、暴力にまで発展するような差別をもたらしています。今、この環境世界は、私たちが地球という一つの世界に属していることを告げています。技術は世界をより小さくしています。世界経済でさえ、私たちがどのように相互依存しているかを示しています。広い視野に立って考えるなら、私たち皆が幸せな人生を歩む同じ権利を持っているのであり、国や信仰、人種、社会的な地位などの二次的な違いは重要ではないのです。私たち人間は社会生活を営んで生きていく生き物なのですから、私たちは皆お互いに依存しているのです」と法王は続けられた。

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アブドゥル・カラム・セヴァ・ラトナ賞受賞式典でスピーチをされるダライ・ラマ法王。2015年11月9日、インド、タミル・ナードゥ州チェンナイ(撮影:テンジン・チュンジョル、法王庁)
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「今日、多くの科学者たちが、私たちの内なる心の世界がいかに重要であるかを認識し始めています。私たちはどうすれば破壊的な悪い感情を減らし、建設的なよい感情を高めることができるのか、それを知ることに関心を寄せている科学者が増えています。私たち人間の基本的な資質は思いやりであることを示す拠りどころも明らかにされています。これは、これからの未来に希望が持てるというしるしであり、私たちがより幸せな世界を築くことができるという自信に繋がります。ですから、今日、私から若い世代の皆さんへのアドバイスは、気を緩めず、諦めず、今の物事のありように満足せず、日々前進する努力をしていただきたいということです。私たちは問題を乗り越え、より良い世界を築くことができるのです。ご清聴、どうもありがとうございました」と法王は話を締めくくられた。
授賞式の開催に貢献したすべての人々への感謝の言葉が述べられ、最後に全員が起立して、インドの国歌を斉唱した。